かぶとたいぞうです。
昨年私は30年間経営してきた自分の経営コンサルタント会社を発展的に解散し「個人成り」を果たしました。
株式会社を30年間潰さずにやってこれた
小なりといえども株式会社を30年間経営してきたわけです。後継者がいなかったので解散しましたが、倒産ではありません。当然黒字解散です。
本当は会社設立30周年記念講演会でも開いて、今までお世話になったお客様、ご指導いただいた諸先輩、かつての社員、縁者を集めて1席ぶとうと思っていました。
しかし時期をうかがっているうちにコロナ禍が発生しタイミングを逸しました。こんなご時世なので人を集めて話すよりも、このブログでお話させていただきます。
私が自分の会社を30年間潰さずにやってこれた真の理由
私がこの場を借りて多くの人に伝えたいのは、「私が自分の会社を30年間潰さずにやってこれた真の理由」です。
結論から言います。
私の会社が30年間潰れずにもったのはズバリ「無理をしなかったから」です。ただそれだけです。他に何もありません。
会社設立当初から臆病だった私
臆病だった私は、会社設立当初から借金をしませんでした。
最初は当時住んでいたアパートの1室で事業を始めました。当時の社員は毎朝私のアパートに出勤させました。
車はなく、自転車で営業しました。
そのうち客が増え、お金も少しずつ残りました。社員が3人になった時、さすがにアパートの1室では狭いので、札幌駅前のワンルームマンションを借りて事務所にしました。その時に初めて車を買いました。軽自動車ですが。
お金の余裕の範囲でしか使わなかった
私は儲かったお金の範囲内でしか設備投資をしませんでした。人を採用するにも慎重で、私の稼ぎで給料を支払える範囲でしか社員は採用しませんでした。
経営コンサルタントとして稼げる人は稀です。稼げるようになるまでには時間がかかります。
優秀な総務部長の採用で路線が変わった
社員が5人になった時、優秀な男を雇って総務部長にしました。彼の提案で北大前にワンフロア80帖のオフィスを借りて事務所を移転しました。
総務部長は「イケイケドンドン」で社員をどんどん増やしました。しかし当時の収入は私の稼ぎしかなく、社員を増やすには借金をするしかありませんでした。
「借金をしない経営者はダメだ」
総務部長は私に「借金をしない経営者ってダメだと思います。度胸のない者は経営者とは言えません」などと言って焚き付けました。
よせばいいのに私はすっかり乗せられてその年初めて(後に倒産した)北海道拓殖銀行から借金をしました。
借金はそのうち1億円超に
借金は最初は1000万円程度でしたが次第に増え、そのうちに1億円くらいになりました。社員も7人になっていました。車も一般的な乗用車に換えました。
今から思えば「たくぎん」もよく私の会社に1億円も貸してくれたなと思います。そんなことをしてるから潰れたのでしょう。
しかし売上は全然増えませんでした。私が毎月稼ぐコンサルタント料約500万円で事務所経費と社員の給与を支払うと、自分の給与は毎月ゼロでした。赤字の月もあり、また銀行から借りました。
総務部長は借金を推進するが責任は取りたくない
ある日総務部長と話し合いました。総務部長はさらに借金をしてもっと優秀な人材を採用するべきだと主張しました。
しかしもう既に借金は限度額を超えています。自宅の抵当権もいっぱいです。
私は総務部長に聞きました。「そんなに借金を勧めるなら、あんたも連帯保証人になってくれるのか」と。
総務部長は「とんでもない、それは社長の役割です。自分は連帯保証人になんて絶対になりません。連帯保証人になる義務もありませんし」と答えました。
別に彼に連帯保証人になってもらおうと思ったわけではありません。意気込みを聞きたかっただけでした。でもそれ以来総務部長とのソリが悪くなり、数年後には彼の方から辞めていきました。
総務部長が去り借金が残った
総務部長が辞めたあと借金だけが残りました。社員は少しづつ辞めていき、また3人に戻りました。
私は北大前の80帖のオフィスを引き払いました。オフィス維持経費だけで毎月100万円〜150万円かかってましたから。
大通りに小さなマンションを購入してそこを改装してオフィスにしました。事務所維持経費は10分の1に減りました。
無理をしない経営に路線変更
人も無理に採用しませんでした。よっぽど面白い人が現れた時だけ、支払える範囲で採用しました。
借金もどんどん減っていきました。はじめはコピー機やパソコンなどのリースが終了しました。リースの恐ろしさを知った私は、それ以降2度とリースは組みませんでした。必要なものは現金で買うことにしました。
次に車のローンが終わり、借金も10本ぐらいあったものが徐々に終了して最後の長期借入金2本のみとなりました。
とうとう借金が無くなった
そしてとうとうその2本も終了して借金がゼロになりました。
借金がないことがどんなに楽なのかを知りました。借金がどれだけ恐ろしいものかを知った私は、それ以降一度も借金をしませんでした。
借金さえ無ければ経営は楽
借金が無くなったら楽なもので、その後はお金に困る事もなく、嫌なお客さんや嫌な仕事を無理に受ける必要もなく、自分らしさを活かしたいい仕事ができるようになりました。
そして楽しく仕事をしているうちに、あっという間に30年の歳月が経ったのです。
私が幸運だったのは、無理をした一時期が若い時だったこと、無理をしてはならないという事に早く気づいて路線変更ができた事です。
例えばたった今、コロナ禍の真っ最中に無理をして借金を抱えていたら私の会社も倒産すると思います。
私は時期やタイミングに恵まれていたと思います。
「私が自分の会社を30年間潰さずにやってこれた真の理由」のまとめ
まとめると
- 無理をしなかったこと
- 少し無理をしたが、早く気づいて戻ることができたこと
- リースやローン、借金の恐ろしさに気づいて、返済後は2度と手を出さなかったこと
が「私が自分の会社を30年間潰さずにやってこれた真の理由」です。
読者の中には、「なーんだ、そんなことか」「冒険しなかったら誰だって会社を潰さないよ」と思われる人がいるかもしれません。
しかし現実はそういうことなのです。
私が自分の小さな会社を30年間粛々と続けてきた間に、勇猛果敢な経営者が次々に開業し、そして次々に潰れていったのです。死屍累々。倒産していった会社のほうが圧倒的に多いのです。
私が会社経営30周年にちなんで言いたかったことはそれだけです。
ごきげんよう。
【関連性の高い記事】
【かぶとたいぞう有料ノート】
この記事があなたのお役に立った場合、下の「いいね!」をクリックして頂けると、たいへんはげみになります。
【あわせて読みたい】
同じカテゴリーの最新記事5件
-
一度結婚に失敗した人は、その後も何回も失敗する。一度相手に騙された人は、その後も何回も騙される。なぜなら -
人にはなにも期待しないほうがいい。たとえ相手がパートナーでも子供でも。期待するから腹が立ちケンカになる -
【生きかた・考えかた】腹のたつことに心が奪われて、気持ちを切り替えることができなくなった時に -
【生きかた・考えかた】世知辛い世の中だが、人間は物事の悪い面ばかりでなく、良い面を見て生きたほうがいい -
【生きかた・考えかた】「ユニークである」とはどういうことなのか。そして個性とは何か
「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。
記事のカテゴリー/タグ情報