【札幌の歴史】茨戸ハワイランド跡地を偶然発見した

かぶとたいぞうです。

古い人しか知らないと思いますが、むかし札幌の郊外に「茨戸(ばらと)ハワイランド」という行楽施設がありました。



読者の中には「茨戸ハワイランド」と聞いて懐かしく思う人がいるかもしれません。おおむね60歳前後かそれ以上の年齢のかたで、昔から札幌に住んでいた人でなければ知らない名前です。



札幌テルメよりもっともっと昔の話

札幌市北区の一番端にかつて茨戸公園とい大きな公園がありました。これをソフィア中村が開発して「札幌テルメ」という一大レジャー施設にしました。バブル崩壊でテルメがつぶれ、その後はシャトレーゼが引き継ぎ、今では「ガトーキングダム」という名前で営業しています。

ガトーキングダムも巨大温水プールを擁するレジャー施設ですが、今日ご紹介する「茨戸ハワイランド」はもっともっと昔にあったレジャー施設です。

場所もガトーキングダムの入り口からさらに石狩方面へと進んだところにあります。

先日このへんを散歩していて跡地を偶然発見しました。

茨戸ハワイランド跡地の所在地

茨戸周辺地図と茨戸ハワイランド跡地【カブとタイ】www.kabutotai.net

私の古い記憶では、もっと石狩方面(地図でいうと左側)にあったような気がしていましたが、実際には地図上の赤い丸の場所でした。

今の大きな道路ができる前は、地図上の青い点線で示した旧道しかなく、茨戸公園の入り口(現在セブンイレブン)から石狩方面へ結構進んだ場所というイメージがあったのです。



偶然発見した茨戸ハワイランド跡

私は健康のためになるべく歩くようにしています。いつも同じコースでは飽きるのでいろいろなところを歩いているのですが、先日このエリアを探索していて偶然跡地を発見したのです。

このへんは川が多いです。茨戸川、発寒川、伏龍川、創成川などが合流する地帯で、かつては毎年春先に大洪水に悩まされたらしいのです。

明治時代に新川を掘って発寒川の流れを止めたので、それ以来洪水はなくなりました。以来、住宅開発が進み、いまでは札幌市郊外のベッドタウンとして発達していますが、まだまだ手付かずの自然が豊富に残るエリアでもあります。

私はその自然豊富な川べりを散歩して大自然を満喫していました。川べりには大きな原野が広がります。このへんにはいまでもキタキツネが生息し、空には大きな翼を広げてトンビが悠々と飛んでいます。原野には小動物などエサが豊富にあるのでしょう。

その原野をぼんやり眺めていたとき、なんか違和感のあるものが目に入りました。

最初は「なんだろう」と思いました。

川べりの原野の中に、なにやら人工的なものが見えるのです。なにかの土台のようです。支柱の跡のようにも見えます。

人工的な何かの跡

茨戸ハワイランドの支柱跡【カブとタイ】www.kabutotai.net

コンクリートで固めた土台から鉄のパイプが出ています。かなり古いものらしく青い塗装がはがれ、赤サビだらけです。無造作に折られたような残骸です。

遠くのほうにもありました。おそらく同じような土台というか支柱跡です。

茨戸ハワイランド跡地【カブとタイ】www.kabutotai.net

見づらいかもしれませんが、写真上部の左右に土台らしきものが写っています。

さらに目を凝らすと、広範囲に一定間隔で似たような土台が見つかりました。

土台は長方形に並び、一辺は数百メートルにも達します。これがほんとうに土台だとすると、ずいぶん大きな建物の跡です。

隣には大きなグルフ練習場。

「茨戸ハワイランドか!」とひらめきました。小学生のころ家族で来たことがあるのです。

茨戸ハワイランドの跡であるなら説明がつきます。体育館のような形をした大きな建物でした。その奥にはホテルのような建物もありました。それが今のゴルフ練習場あたりです。



当時の茨戸ハワイランド

茨戸ハワイランド

ネットで当時の写真を発見しました。これが大きな体育館のような形をしたドームの中です。

右側にはステージがあり、時間が来るとハワイアンダンサーが登場します。

左側の滑り台が懐かしいです。この滑り台は一度だけしか乗れませんでした。2回目に行ったときには危険だからということで禁止になっていたのです。けが人が出たようです。

その後プールで溺れた人なども出て、そのせいか、茨戸ハワイランドはあっという間に潰れました。

今から思えば当時は常磐ハワイアンセンターを初め、各地でハワイ施設が大ブームになっていました。流行り商売も長くは続かなかったようです。

どうして茨戸ハワイランドの土台が残っているのか

だけどどうしてあんな昔の建物の土台が今でも残っているのか・・・

その時、ある光景が浮かびました。

茨戸ハワイランドは潰れたあと、取り壊されずにずっと残っていたのです。運営会社が倒産して解体費用がなかったと聞いています。建物はずっと放置されていたのです。

そのうち風雨で壁などが吹き飛ばされ体育館の骨組みだけが残りました。そして広島の原爆ドームのような骨組みだけの形になったのです。

この道を通るたびに「原爆ドーム」を目にし、その光景がしっかり映像として心に残っていました。小学校の友人らとも「原爆ドームみたいなのまだ残っているよね」と噂していました。その「原爆ドーム」の光景が何十年ぶりにはっきりと目に浮かんだのでした。

その後、かなり経ってから建物が壊されて無くなりましたが、土台までは撤去できなかったのかもしれません。



諸行無常の響きあり

おそらく今のゴルフ練習場の場所も茨戸ハワイランドの一部か付属建物の跡地だと思います。でもそこは土台の撤去が簡単だったのだと推察します。そして撤去しづらい強固な土台は放置されたまま残ったのでしょう。

昭和40年代。高度経済成長。所得倍増計画。ハワイブーム。

50年前の茨戸ハワイランドの土台跡、諸行無常の響きあり。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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