かぶとたいぞうです。
私が高校生の時でした。同級生2人と私の3人で、温泉旅行に出かけたことがありました。
仲の良い3人組で夏休みの一泊旅行を計画したのです。
行き先は層雲峡
行き先は北海道の中心あたり、旭川から網走、北見方面に少し行った層雲峡でした。
当時は「ホテル層雲」のテレビコマーシャルが頻繁に流れていました。
「ゆーったり、のんびりと、
ゆーったり、のんびりと、
うう、うう、ううー
ホテルそーうん」
という歌でした。
ホテル層雲へ
私たちは当然「ホテル層雲」を予約して、国鉄(現在のJR)とバスを乗り継いで層雲峡まで行きました。
ホテル層雲に到着し、すぐに温泉に浸かり、晩御飯を食べ、部屋で酒盛りをしているうちに深夜になりました。
当時の高校生は酒ぐらい普通に飲んでいましたし、高校生だけでも普通にホテルに泊まれました。面倒なことをいう人など誰もいませんでした。
深夜の露天風呂
夜中の12時ころ、私がもう一回風呂に行こうと提案しましたが、2人は部屋で飲んでいるから1人で行ってくれと言います。
仕方がないので私は手拭いだけ持って、別館へと渡る長い渡り廊下のような橋を渡って露天風呂に行きました。
人影は無し
深夜だったので渡り廊下にも脱衣所にも人の姿はなく、露天風呂に出ると湯気が月明かりに映り幻想的でした。
ホテルに到着して直ぐにも一度露天風呂に入ったのですが、再度入ってみると奥の方にも露天風呂が続いているようでした。
月明かりを頼りに奥のほうへ進んで行くと、結構広い露天風呂でした。大きな石に囲まれて自然な感じの湯場が月明かりに照らされているのです。
広い月明かりの露天風呂に私ひとり
もっと奥にも続いているようでしたが、なにか出てきたら恐ろしいのでそれ以上は進みませんでした。
露天風呂に浸かって10分。もうそろそろ出ようかと思ったその時。
奥のほうから何かの気配がしました。
獣か大蛇か
私の頭のなかには、熊、狐、狸、蛇、いろいろなイメージが浮かび、私は身を固くしました。
その気配はどんどん私のほうへ近寄ってきました。水が動く音が聞こえるのです。直ぐ近くまで来ているのです。
私が身じろぎもせず奥のほうをじっと見ていると、人影が見えました。
なんだぁ、人間かぁ
なんだぁ。人間だったのか。奥のほうで湯に浸かっていた先客があったのか。と思い、ほっとしました。
しかし、次の瞬間。私はまた身を固めました。女の人だったからです。
私は悪いと思ってすぐに目をそらしたので一瞬しか見ませんでしたが、一瞬のイメージが残像としてまぶたに焼き付いていました。
若い女性
若い女性です。黒髪で色が白く、小柄ですらっとしていました。きれいな顔がとても驚いたような表情でした。
ここは女風呂だったのか。知らずに女風呂まで来てしまったのか。でも策もロープもなかった。
私はどうしていいか分からず、湯に肩まで浸かりながら黙って月だけを見ていました。
動かない二人
若い女性もまったく動きませんでした。湯に浸かる音はしましたが、その後はまったく音がしませんでした。きっと若い女性もどうしていいか分からず身を固くしているのでしょう。気配で分かりました。
私は焦りました。慌てて逃げるのもばつが悪いし、話しかける度胸もありません。きっと彼女も同じように思ったのでしょう。動く気配がまったくありませんでした。
私のひと言
しばらく2人は黙っていましたが、私は意を決して言いました。
「いい月ですね」
私は彼女のほうは決して見ませんでした。ただ月だけを見ながら必死で言いました。きっと声がうわずっていたと思います。
すると彼女も少しして答えてくれました。
「ほんとに、いい月ですね」
彼女の声には少しの驚きと緊張と警戒が含まれていました。声は私の直ぐそばから聞こえてきました。きっと2メートルも離れていない距離でしょう。
また黙る二人
それからまたしばらく沈黙が続きました。
私は体が温まりすぎてのぼせてきましたが、立つわけにも縁の石に腰かけるわけにもいかず、じっと肩まで湯に浸かって月だけを見ていました。
お湯にのぼせるのを必死にこらえて彼女に何か話しかけなければならないと思いました。
ご旅行ですか
「ご旅行ですか」
私はどうにか声を出すことができました。
「はい。バイクで北海道をまわっています」
彼女の声はさっきよりは少し安心した音色でしたが、私は彼女のほうは決して見ませんでした。
道内の人ですか
「道内の人ですか」
「いいえ。東京からフェリーで来ました」
私は続いて「お一人ですか」と聞きたかったけど、聞くのをやめました。いやらしい質問だと思ったのです。
こんなきれいな人が、ひとりバイクで旅するものか。きっと彼氏の後ろに乗って北海道一周の旅をしているに違いない。そう思ったのです。
でも女性のソロライダーもたまにはいるのです。
そんなことを悶々と考えているうちに本当にのぼせてきました。
私はカッコをつけて
彼女も湯に浸かってからけっこう時間が経っていました。彼女も上がるに上がれず困っているかもしれません。
「ではお先に失礼します。良い旅を」
私はカッコをつけてそのまま涼しげに脱衣所のほうへ移動しました。
はい。あなたも
「はい。あなたも」
彼女の言葉に背を向けたまま手だけ上げて返事をし、振り向かずに進みました。
脱衣所のところまで来てようやく振り向いて彼女のほうを見ましたが、見えたのは月明かりに映る湯煙だけでした。
結局彼女の姿を見たのは最初の一瞬だけでしたが、間違いなく美人でした。
部屋に戻ると
部屋に戻ると友人2人はまだ飲んでいました。
露天風呂での一部始終を話すと、2人とも「嘘だぁ」と言って私の話を信じません。それでも私が一生懸命に話すと、2人は「まだいるかも」と言って手拭いを持って急いで露天風呂に出かけました。
2人は10分後に戻ってきて「やっぱり嘘だった」と言いました。
いくら私が本当の話だと言っても2人は最後まで信じませんでした。
本当の話
しかし、これは本当の話なのです。
翌日ホテルの人に聞くと、露天風呂の奥のほうは、男湯からも女湯からも行ける混浴エリアだったらしいのです。私は知りませんでした。
その女性も知らなかったのか、あるいは深夜だったので誰もいないと思って混浴エリアに入ってきたのかもしれません。
その後の「ホテル層雲」
その後「ホテル層雲」は混浴エリアを廃止し、さらに10年ぐらい経ってホテル自体が閉鎖してしまいました。
もう今となっては「ホテル層雲」を覚えている人すら少ないと思いますが、私には忘れられない思い出です。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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