【パタヤ生活】パタヤでずっと暮らしていると、自分がいまパタヤに居るということも忘れてしまう

かぶとたいぞうです。

人間はたまに死を意識しないと、自分がいま生きているということすら忘れてしまいます。

死ぬ間際になって、「あの頃は幸せだった」と何げない毎日を懐かしく思うのです。

それと同じで、あこがれのパタヤ生活も何ヵ月も経てば当たり前になり、自分がいまパタヤで生活しているということすら時々忘れてしまうのです。



1ヶ月や2ヶ月なら

1ヶ月や2ヶ月なら、やっぱり旅行期間です。帰国まであと何日かと計算したりもします。パタヤにいる間にあれもしたい、これもしたいと思ったりもします。

しかし5ヶ月も6ヶ月も経てば別に何もしたくないしどこにも行きたくありません。毎日が生活の繰り返しなのです。

自分はいま確かにパタヤにいるが

自分はいま確かにパタヤにいるし、回りの人々の顔形も札幌にいる時とはぜんぜん違います。気候も違うし食べる料理も違います。

でもそれらにもすっかり慣れてしまって今や当たり前なのです。



きっと帰国する間際になって

きっと6月くらいに帰国する間際になって「あの頃は幸せだった」と何げないパタヤでの毎日を懐かしく思うのです。

また何かの事情で、あるいは歳をとったり病気になってパタヤに来れなくなった時に、毎日のパタヤ生活がいかに楽しかったか身に染みて感じるのだろうと思うのです。

ヤシの木が揺れるのを眺めながらただ息を吸う幸せ

パタヤのアパートのテラスでヤシの木が揺れるのを眺めながら、ただ息を吸っているだけで幸せだったと思い知るのだと思います。

あの頃が一番幸せだったと回想するのだろうと思うのです。



今日はこれから

今日は散歩かたがた久しぶりにビッグCエキストラまで歩きます。

体重計を見に行くついでに安い肉があったら買ってきます。帰りにラオカオ甲類も買ってきます。

たまにパタヤの街を歩くと、なにか新しい発見もあるかもしれません。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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