かぶとたいぞうです。
暇な時、何をしようかと考えます。
天気が良ければ、近くのスーパー銭湯にでも行って、ゆっくりくつろぐのもいいです。
でも今日みたいに朝から雨だとバイクにも乗れません。
何をするか
家で同じ映画ばかり何回も見ると飽きるし、何かゲームでもしようかなと思ってはためらいます。
ゲームは時間を消費するだけで何も残りません。もっと生産的なことをしたいのです。
天気が良ければ農耕をしますが雨だとベチャベチャに濡れます。
すべて暇つぶし
いろいろ考えているうちに、自分のやっていることはすべて暇つぶしのように思えてきます。
農耕だって、別にたくさん作って人の役に立っているわけではないのです。自分の食べるぶんだけ作って食べているのです。一人分なら八百屋で買ったほうが安いかもしれません。要は暇つぶしのために土いじりをしているだけです。
娯楽はすべて暇つぶし
囲碁であれ、将棋であれ、マージャンであれ、盆栽であれ、グルメであれ、スポーツであれ、旅行であれ、交際であれ、すべて暇つぶしに過ぎません。
私も含めてほとんどの人間は暇つぶしの人生をおくっているのではないでしょうか。
仕事だって
仕事だって、暇つぶしとは言いませんがそれほど意義のあることとは思えません。
天職としてその仕事に打ち込んでいる人や、世の中や子供のために働いている人は別です。しかし、多くの人は、ただ自分が食うためにイヤイヤ働いているのです。ただ金を稼いで飯を食う、自分の老後のために貯金する。余ったお金で暇つぶしの娯楽に使う、それだけです。
虚無主義に陥ったわけではないが
別に虚無主義に陥ったわけではありませんが、時々そんなことを思うのです。
それでいいのかもしれません。人間なんてそんなものなのかもしれません。人生なんてそんなものなのかもしれません。あまり深く考えないほうがいいのかもしれません。
でも考えてしまうのです。
意味のあること、実りのあること
では暇つぶしでないものとは何か。何をすれば意味があるのか。何をすれば実りがあるのか。
きっと世の中の役に立つこととか、若い人や子供、後輩などに良い影響を与えることをすると、意味も実りもあると思います。
老害にならぬよう役に立つ
でしゃばるという意味ではありません。若い人たちの前で偉そうに講釈するという意味ではありません。そんなことは単なる老害です。
口出しをしたり邪魔をするのではなく、もっと直接役に立つのです。あるいは分からぬように間接的に良い影響を与えたり、陰ながら見守るのです。
例えば
日本の未来や子どもたちの将来を考えて真面目に働いている政治家や、子供の世話や援助、教育に携わっている人たち、それらの現場で手伝っているボランティア、児童文学家、子供向けの演劇、音楽、マンガ、イベント、その他芸術家たちはすべて意味も実りもある活動をしているような気がします。
寄付や金銭的支援もいいかもしれません。
私とは大違い
私のようにただ自分自身の刺激を求めていろいろなことに手を出したり、いろいろな所へ行ったり、映画を見たり、美味しいものを食べたり、酒を飲んだりして毎日をおくっている人とはぜんぜん違います。
私もなにか子供や若い人たちの役に立つことをやりたくなってきました。
自分に何ができるのか。少し考えてみます。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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