曾祖父は徳島から北海道に渡った開拓者。私がタイに渡るのは冒険者の血

かぶとたいぞうです。

私の曽祖父はかつて四国の徳島から北海道に渡ってきた開拓者です。

当時は北前舟のような海路しかなかったので、おそらく瀬戸内を渡り、日本海を経て、小樽を経由し、石狩まで来たのでしょう。道路が無い時代なので、すべて船の移動です。相当な期間をかけて、そうとうな苦労をして渡ってきたのではないでしょうか。



私の曽祖父が開拓したレツレップ(札幌)

石狩から石狩川を上流に進めば、大きなアイヌコタン(部落)のあった江別に出ます。曽祖父は石狩、江別を中心に入植地を探したようですが、最終的には今の札幌市北区栄町(さかえまち)に落ち着きました。当時レツレップと呼ばれていた今の栄町付近は、ジメジメした泥炭地で人気が無く、まだ数件から数十件しか開拓者はいなかったようです。曽祖父はそこで玉ねぎを作り生計を立てました。

それから100年。札幌は今では人口200万人の大都市になりました。

北海道開拓当時は苦労があったと思う

今でこそ立派な街並みですが、当時の札幌には何も無くて大変だったと思います。特に四国育ちの曽祖父には冬の寒さは身にしみたと思います。

私のかすかな記憶では、立て替える前の本家の古い家の台所は土間でした。床はコンクリートを流した土で、外とほとんど変わりません。冬になると隙間風が入り、しばれます。今の時代のキッチンとは大違いです。外で料理をしているのと同じです。当時は冬になればマイナス20度にも30度にもなったようです。

よくそんなところで冬を越せたと感心します。トイレも外にあったような気がします。

でも、私が小さい時に見た家はまだ新しいほうで、曽祖父が明治時代に最初に建てた家は、土間すらない、土の上に直接建てた「掘っ立て小屋」だったのではないかと想像します。

よく死ななかったなぁと思います。



事情があったから冒険に出た

そんな思いまでして北海道を開拓した背景には、曽祖父には徳島にいてもどうにもならない事情があったのでしょう。徳島で豊かに暮らせたなら、わざわざ厳寒の北海道まで開拓に来ません。四国で成り立たないからこそ、新天地を求めて冒険に出たのだと思います。

冒険に出るには「勇気」と「忍耐力」が必要

でも、どんなに状況が悪くても行動を起こせない人もいます。何もしないで死んでゆくような人です。だから、少なくとも私の曽祖父には状況に応じて行動を起こせる「勇気」と「忍耐力」はあったのだと思います。





北海道が栄えた原動力は農業、漁業、石炭

曽祖父が開拓に来た後、大正、昭和、第二次世界大戦を経て、北海道は大いに栄えました。人口も500万人を超えました。

原動力になった産業は、農業と漁業と石炭です。

その中で一番最初に石炭が衰退しました。その後、魚が取れなくなり漁業が衰退、農業は最後まで残りましたが、従事者が年々減っています。

今の北海道の主要産業はおそらく観光だと思います。

今でも農業や漁業、あるいは関連した食品加工などに従事している人は、これからも土地に根付いた生活を守ってください。立派な仕事だと思います。これからも充分成り立つ仕事です。まだまだ発展性があります。

しかし、もうとっくに石炭が取れなくなった土地にいつまでもしがみついて、国や自治体に「どうしてくれる」、「保障しろ」などと言っている人たちがいます。冒険者・開拓者の血を引くものとは思えません。事情が変わったのだから自ら動くしかないと思うのです。

それと、以前の農家がつぎつぎと農業をやめて農地を売り、アパート、マンションなど不動産業をやています。そんなにアパートばっかり作ってどうするのかと心配です。離農した家の子供や兄弟はすることがないのでサービス業についています。

北海道の基幹産業の衰退と現在のいびつな産業構造

今の北海道の産業構造はいびつです、1次産業2次産業の基幹産業が衰退しているのに、サービス業など3次産業ばかり増えています。あわせて役所などの公共サービスに従事する公務員が増えているのです。

そして景気回復の突破口を観光業にのみ求めているのです。まるで破綻したギリシャと同じです。

このまま中国人観光客が爆買いしてくれればどうにか経済が成り立つのかもしれませんが、中国だって今後どうなるか分かりません。やはり1次産業などの基幹産業がしっかりしていないと経済は危ういのです。



状況が変われば行動が必要

だれでも生まれ故郷は大事です。みんな「おらが村」「ふるさと」にずーっと住み続けたいと思います。思い出もあれば幼馴染もいます。

何か方法があって状況を改善できるなら改善を試みるべきです。でも改善できない状況なら自ら移動するしかありません。

いまさら石炭は掘れないし、魚も戻ってきません。別な産業につくか、魚を求めて移動するしかないのです。

私の曽祖父もほんとうは徳島に住み続けたかったと思います。でも事情が変わったから開拓に出たのです。環境の変化に適合するために冒険に出たのです。それが生きるということなのです。

昔の日本人は行動力があった

むかしの日本人は行動力がありました。ブラジル開拓団、ドミニカ開拓団、フィリピン、シンガポール、必要に応じて、事情に応じてどこにでも出て行って日本人町を作りました。



今の日本人は冒険をしない、リスクをとらない

それに比べて今の日本人はみんなサラリーマン。人口の8割がサラリーマンなのです。安心・安全ばかり求めて冒険をしません。絶対にリスクをとろうとしません。

グローバル化に伴ってビジネス環境も雇用環境も大いに変化し、事情も変わってきたのに、いつまでも会社にしがみつき、「おらが村」「ふるさと」を離れたがりません。

でも状況が著しく変われば、生き残るために重い腰を上げなければならない時が来ます。その日が近いような気もします。今まで必死になって大切にしてきたものが無くなるかもしれません。

私には開拓者の血が流れている

私の先祖は開拓者です。私も冒険者の血筋です。だから私にとってタイに移住することぐらいなんでもありません。

それに、曽祖父が北海道に移住した時代に比べると、今の時代、タイに移住するのはとても簡単です。飛行機でひとっ飛びです。帰ってこようと思えばいつでも帰ってこれます。

私は冒険者なので人より先にタイに行って新天地を開拓します。

そして、今後タイに渡る人がいたら水先案内人になります。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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