かぶとたいぞうです。
今日はひめゆりの塔に行ってきました。
グーグルマップの「経路」を使って那覇市内から、ゆいレール→バス→バスと乗り継いで、約1時間半、片道1,110円で行ってきました。
グーグルマップの「経路」機能に全国のバス時刻が組み込まれるようになってから、ちょっとした旅行や移動が本当に楽になりました。
初めて訪れたひめゆりの塔
ひめゆりの塔は初めてです。バス停から3分ほど歩くと記念碑が見えてきました。
その奥には当時病床として使っていたガマ(洞窟)があり、ガマの前には献花台と犠牲になった人たちの名簿が刻まれた石碑がありました。
献花台と犠牲者の名簿碑
その奥は有料の平和記念資料館になっており、入り口で310円払って貴重な資料を見ることができます。
詳しい内容は書きませんので、興味のあるかたはぜびご自分でご覧になってください。
平和記念資料館に残る生存者の生の声
沖縄戦を生き残った当時の「ひめゆり隊」の人たちの生の声が残っています。貴重なフィルムも見れます。生き残った人たちの、当時の手記も読めます。
生き残った人の生の声は、どんなに優れた小説や映画よりも真実を知る手がかりになります。作家の意図も脚色も入り込まないからです。
小説や映画に無い、沖縄戦の実際の体験談
資料館に残された生の声を聴くと、当時、沖縄戦が泥沼化する中で、必ずしも映画のようなヒューマニズムはなかったようです。
仲間を助けた話もあれば、仲間を泣く泣く見捨てなければならなかった悲しい現実の話。水を欲しがる人を無視して自分の水を守った話。助けてくれた米兵もいるけど、無差別乱射してきた米兵もいたという話。すべて身につまされます。
日本兵はひどかった
いろいろな話が残されていますが、一つだけ共通していることがあります。どの手記にも証言にも「日本兵に助けられた」という話はひとつも出てこないのです。
その代わりに、「日本兵に騙された」、「日本兵に強要された」、「日本兵に脅された」、「日本兵に追い出された」、「日本兵に盾にされた」という話はいくらでもありました。
やっぱり当時の日本兵はひどかったのですね。美談などひとつもありませんでした。
戦争美談は小説や映画の中だけ
美談は小説や映画の中だけのようです。戦争が泥沼化すると、人間は人間ではなくなるのだと思いました。
戦争を二度と起こしてはならない所以です。
「ひめゆりの塔」を見たあと海岸まで歩こうと思いましたが、途中で雨が降ってきたので引き返しました。
帰路のバスの窓からはるか喜屋武岬を拝む
15分も歩けば、当時「ひめゆり隊」が逃げのびた海まで行けたのですが。残念です。きっと「ひめゆり隊」の魂が降らした涙雨だと思います。
帰路のバスが喜屋武岬を通過した時、バスの窓から遠くに見えた海に合掌しました。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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モンクレールの偽物の広告が気になってしまいました。しかたのない事なんでしょうが、、
しん様
表示される広告はその人によって違うので、どんな広告か分かりませんが、偽ブランドの広告なら違法なのでグーグルに通報します。