ドミニカ北海岸プエルト・プラタのきれいな海と日本人の扱われかたにショックを受けた

かぶとたいぞうです。

今日は久々にタイ以外の国に関して、旅の思い出を語ります。とてもきれいな海と日本人の扱われ方に強いショックを受けた、ドミニカ共和国の北海岸のお話です。





2つあるドミニカ

ドミニカという名の国はどうも2つあるようです。私が今日お話しするのは、カリブ海に浮かぶ、キューバの右となりの島にあるドミニカ共和国です。ハイチと島を2分しています。

ドミニカ共和国の地図

島の右半分がドミニカ共和国で、首都はサント・ドミンゴです。赤い印は、プエルト・プラタというドミニカ共和国の北海岸にある小さな町です。とてもきれいな海で、今日のお話の後半に出てきます。

島の左側がハイチです。地図には載っていませんが、この地図の左側にキューバがあります。右側にはプエルト・リコがあります。

キューバ、プエルト・リコ、そしてドミニカ

私は早い時期にキューバに行き、音楽、文化、歴史に魅了されました。キューバ音楽やサルサダンスに凝ったのもその当時からです。その後、やはり音楽的興味から、プエルト・リコにも行きました。いずれも楽しい思い出ばかりです。

キューバとプエルト・リコの間にあるこの島にはまったく興味が無かったのですが、当時はコロンビア、パナマ、ニカラグアとカリブの海を次々と旅して歩いたので、まだ一度も行っていないドミニカ共和国にも行ってみたくなったのでした。

ドミニカ共和国と言えば、有名な野球選手、バスケットボール選手の名前が出てくる程度で、それ以外には何の知識もありませんでした。

事前の調査も何もせず、気軽に行ったのですが、あとで調べたらドミニカ共和国はとてもすさまじい歴史をもつ国でした。



ドミニカ共和国の歴史

先祖はスペインからの移住者で、先住民のアメリカン・インディアンを追い払い、皆殺しにして島を奪った歴史があります。最後に1人生き残ったインディアンを血祭りにして先住民を根絶やしにし、勝利宣言を上げたようです(サント・ドミンゴの博物館で見た資料より)。

ちなみに当時の先住民(アメリカン・インディアン)は、我々日本人と先祖が同じモンゴル系民族で、アラスカやカナダのイヌイット=エスキモーとも同じ種族だと言われています。当然日本人と似たような顔の人が多かったと思います。

日本人移民の歴史

日本とも因縁があります。

戦後まもない1954年(終戦9年後)、ドミニカ共和国のトルヒーヨ大統領の呼びかけで日本人のドミニカ共和国への移民政策が始まりました。

この政策により多くの日本人が新天地を夢見てドミニカ共和国に移住しました。ところが、行ってみると募集要項に書かれていたような農耕可能な土地ではなく、石ころだらけのやせた土地しか与えられませんでした。移住した日本人はたいへんな苦労をしたようです。この問題は後に裁判になりました。

さて、当時の私は、そのような歴史のある国であるとも知らず、ノリノリな南国気分でカリブ海に浮かぶこの島を訪れたのでした。



プエルト・プラタの美しい海

さて、先ほどの地図で赤い印をつけた場所がプエルト・プラタです。この辺にはプエルトが付く地名が多いですが、プエルトというのは英語で言うとポートと同じで港という意味です。

プエルト・プラタに初めて着いた時、その海の美しさに息をのみました。

プエルト・プラタの海

もちろん最初は首都サント・ドミンゴに滞在したのですが、私は都会にはあまり興味が無いので、すぐに北海岸を目指し、プエルト・プラタに何日も滞在しました。

私がショックを受けたのは、プエルト・プラタの海の美しさだけではありませんでした。

プエルト・プラタの繁華街でのできごと

プエルト・プラタにはちょっとした繁華街があって、バーやディスコチカ(日本で言うとクラブ)などもあります。音楽やダンスの好きな私はさっそく夜の街に繰り出し、それらの店で酒を飲んだのでした。

何件かの店をはしごして気分良く飲んでいたのですが、何か様子がおかしいのです。なんというか、現地の人たち、ドミニカ人が私を見る目がなんとなく他の国とは違います。初めての雰囲気です。

今まで、メキシコでも、キューバでもコロンビアでもベネズエラでも、日本人は珍しいので当然珍しがられます。興味を持たれます。それには慣れています。

しかし、ドミニカ共和国では少し違うのです。私を見る目が違うのです。珍しがっている目ではないのです。目の中に、人を見下したような、冷たい光がはっきりと見えるのです。

どうしてなのかさっぱり分かりませんでした。

何人かは私に「どこからきたか?」と聞いてきました。私が日本人(ハポン)だと答えると、「やっぱり」というような顔をして、とたんに冷たくなるのです。

別の店では、何人かのグループと酒場で一緒になり、踊っているうちになんとなく仲良くなりました。私は彼らに酒をご馳走しました。そして、そのグループの1人の女性に一緒に踊りたいと言いました(サルサダンスなどは男女ペアで踊り、ダンスに誘うのは失礼ではありません)。

すると、その女性から露骨に言われました。

「あなたはダメ、日本人だから。酒はご馳走になる」と。

最初は冗談かなと思ってあたりを見回すと、みんな冷ややかな目で私を見ています。

読者の皆さん、想像をたくましくしてこの場の状況、私の扱われ方を感じてみてください。今まで「いわれの無い差別」というものを体験したことの無い人には分からない感覚です。

+++

私はその後、気を取り直して北海岸をぐるっと一周し、いろいろな港や海のある小さな町に泊まって楽しく旅を続けました。

なぜか分かりませんが、地元の人からは時折同じような冷ややかな目でみられましたが、メキシコから来た夫婦とか、その他私と同じように観光で外国から来た人とは仲良くなり、楽しい思い出もいっぱいできました。



サント・ドミンゴで知り合ったドミニカ人の説明

サント・ドミンゴにもどって最後の数日を過ごしていた時、仲良くなったドミニカ人に北海岸での体験を話してみました。そのドミニカ人は頭が良く、英語もできて国際的な感覚を持った人でした。

彼の説明で、前述の日本人移民の歴史について初めて知りました。そして、その歴史を経て、ドミニカ人(の1部)は日本人をかわいそうに思ったり、申し訳ないと思う代わりに、日本人は乞食だ、貧乏だ、一番低い階層だだと思うようになったそうです。どんなに身分が卑しくても、日本人よりはましだと。当時の日本からの移民はそれほど貧乏をしていたのでしょう。ほんとうに気の毒です。

日本人の顔は、彼らがかつて根絶やしにした先住民と似ています。その点もドミニカ人が日本人を迫害する原因になっていたのかもしれません。

特に日本人が移住した土地に近い、北海岸などのローカルエリアには今でも日本人を蔑視するような人たちが多いのだそうです。

彼が言うには日本人を蔑視するようなドミニカ人は同じドミニカ人として恥ずかしい。彼らには学問がなく、今の日本がどんな国なのかも知らない。少しでも自分より劣るものを見つけては見下したいタイプなのだ、と。

ユダヤ人の優秀さを知らずに、「ユダヤの商人」の知識だけでユダヤ人を軽蔑するような人と似ているなぁ、と思いました。

また、学問の無い人ほど人を差別するという点は日本でもまったく同じだなぁと感じました。

私は今までいろいろな国を旅して、いろいろな楽しい思いをしました。

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しかし、同じカリブの楽園でも、ドミニカ共和国だけは要注意です。サント・ドミンゴだけなら何の心配もありません。しかし、私と同じように田舎や自然が好きで北海岸などを回ってみたい人は、これらのことを頭に入れた上で行った方がいいです。

よい旅を。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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