人間は、やっぱりたまには仏壇や神棚に手を合わせて、感謝しなければならない

かぶとたいぞうです。

久しぶりにお菓子を買ったので、仏壇にお供えをして手を合わせました。

思えば忙しさにかまけて1ヶ月近くもの間、仏壇に手を合わせておりませんでした。忙しいと言っても庭仕事、畑仕事ですから、趣味のようなものです。手を合わせる気持ちを忘れていたのです。



たまには神仏に手を合わせて感謝しなければならない

人間は、たまには神仏に手を合わせて感謝しなければなりません。

生きていること、健康であること、食べていけていること、その他なんでもいいと思います。感謝することはたくさんあります。

感謝しなくなると、人間は横柄になる

感謝しなくなると、人間は自分だけの力で生きているような気持ちになり、偉そうになり、横柄になります。

私はそうなりかかっておりました。反省しています。



以前はよくお供えをして手を合わせた

以前はお菓子を買ったり、果物を買ったりした時に、必ず仏壇にお供えをして、水を取り替えて、手を合わせていろいろなことに感謝しました。

前回、一番最後にお供えしたのはチョコレートでした。でも、これからは暖かくなるのでチョコレートは溶けるかもしれないと思って冷蔵庫にしまったのです。それ以来何もお供えしていませんでした。忘れていたのです。

今回は箱に入ったクラッカーなので大丈夫です。

せめてお菓子や果物などを買ってきた時はお供えして手を合わせたい

本当は毎日手を合わせなければならないのですが、私はできていません。

せめてお菓子や果物などを買ってきた時ぐらいは忘れずにお供えして手を合わせたいと思います。



自然を恐れ、神仏を怖れて謙虚に生きる

私は自然を恐れ、自然に感謝し、神仏を怖れ、謙虚に暮らしたいと思っております。

その気持ちを思い出すきっかけであったり、その気持ちを忘れないための方法が、手を合わせるという行動なのだと思います。あらゆる儀式や行事もそういう意味なのだと理解しています。

私は宗教人ではないので、儀式や行事には参加しません。しかし、せめて我が家の仏壇に安置されている、パタヤビーチで20バーツで買った仏にはこれからも手を合わせたいと思います。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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