【孤独という生き方】私は孤独をけっこう楽しんでいるし、孤独死もまったく恐れていない

かぶとたいぞうです。

私は兄弟が多く、小さい頃からにぎやかな家庭で育ったので、孤独に弱かったのです。

高校を卒業して、始めて東京で一人暮らしを始めた時にホームシックにかかりました。1人でいるのが寂しくて寂しくて、自分が精神的にいかに弱いかを思い知らされました。

それがとても恥ずかしかったのです。



始めての一人旅

大学2年生の時に思い切ってアメリカ合衆国をひとりで横断しました。

相当学んだはずの英語が現地ではぜんぜん通用せず、米国人からは冷ややかな目で見られ、とても寂しい思いをしました。

でも頑張ってどうにかやりきりました。少しは孤独に耐える勉強になったと思います。

社会人になってからも一人旅

社会人になってからも一人旅を続けました。

言葉も通じないインドの田舎を何日も何日も移動してブッダの聖地を訪ねました。話し相手もいなく、毎日月を見ながら酒を飲みました。

人口3千人、日本の反対側に位置するコロンビアのプロビデンシア島では、夜中にふと目を覚まして「私はどうしてこんなところにいるんだろう」と思いました。

それでも朝になると馬に乗って狭い島を駆け回りました。

そんなことをしているうちに、1人でいることに慣れてきました。



一人でいることに慣れてきた

最初は、1人でいるのが寂しくて寂しくてしょうがないのを無理して我慢していました。でも次第に一人でいることを楽しめるようになりました。気分を変える術を見つけました。そして1人でいることが気軽に感じるようになりました。

一昨年パタヤにて

一昨年はタイのパタヤのアパートで、コロナの制限下の中、結局10ヶ月近くもひとりで過ごしました。

地元の人たちと仲良くなり、友達もできましたが、夜間外出禁止令、飲食店閉鎖令、酒類販売禁止令、パタヤビーチ散歩禁止令と相次いで制限され、文字通り孤立した状態になり、毎日アパートの1室で過ごしたのです。

蒸し暑くて暗い部屋でたったひとり。それでもなんとか工夫して楽しみました。これはいい体験になりました。



現在那覇にて

私は今も那覇のホテルの1室で一人ですが、一昨年のパタヤに比べたらまったく寂しくありません。日本語が通じるし、飲みに出ることもできるのですから。

孤独というものは慣れるのです。

孤独死

さて本題です。

孤独死を恐れる人が多いようですが、私は恐れていません。

孤独死を恐れる人の話を聞くと、3つに大別できます。



孤独死を恐れる理由1、孤独そのものが寂しい

1つ目は孤独そのものが寂しいという話です。

人間は最後は一人になるのだから、孤独に慣れなければなりません。一人旅などをして孤独に慣れる訓練をすることをおすすめします。

最初は寂しいですが、そのうちに慣れてきて、むしろ気楽に感じるようになります。

孤独に慣れることが一人で死ぬ訓練になると思います。

孤独死を恐れる理由2、誰かに看取ってほしい

2つ目は誰かに看取ってほしいという話です。死ぬ時に一人は嫌だから、周りに誰かがいてほしいというのです。

甘ったれた話しだと思います。

昔のように農家や家業を大家族で営んでいれば、家に誰かが必ずいます。もしあなたが大きな旅館かお店の経営者で、息子や娘、その配偶者も雇っていて、隣接した大きな家で孫も一緒に暮らしているのなら、常に身内がそばにいるでしょう。

しかし現在は農家も家業も廃れ、みんなサラリーマンなのです。各々の通勤の都合で住む場所を決めています。だから核家族なのです。



身勝手な話し

そしてみんなそれぞれ仕事があり、生きていくのに必死です。

死にそうだからとみんなを呼び集め、なかなか死なないのに、長時間もみんなを待たせるのは迷惑な話です。死んでから連絡すればいいのです。私はそう思います。

自己中心的

歳をとって気弱になり、誰かに面倒を見てもらいたい気持ちになるのは分かりますが、自己中心的な考えではないでしょうか。

誰かに面倒を見てもらうということは、相手が倒れたときには自分が相手の面倒を見るということなのです。

「独身なので孤独死が怖い」という人は、パートナーがいたらいたで「介護が嫌だ」といいそうです。



死ぬ時は一人

それと「一人で死ぬのが心細い」という人がいますが、死ぬ時は1人ですよ。相手も一緒に死んでくれるわけではありません。

もし死ぬのが苦しいとしたら、周りに誰かがいたとしても苦しみは変わらないと思います。私なら苦しんでいる自分の姿を相手に見られるのが心苦しいので、一人で死にたいです。

孤独死を恐れる理由3、遺体の処理

3つ目は、自分が死んだ後、何日も発見されず、遺体を処理をする人に迷惑をかけるという話です。

死んだあとのことまで考えなくてもいいと思いますが、自分が死んだら分かるような仕組みは作っておいたほうがいいと思います。

私には毎日ラインで挨拶する人がいますから、もし2日も返事がなければ相手が心配して何らかの行動を起こすと思います。

また、このブログも基本的に毎日書いているので、3日も更新が無ければ誰かが心配して動いてくれそうな気がします。

このように、常に誰かと音信を繋いでおくことは必要だと思います。

それ以外は気にしないほうがいいでしょう。



迷惑は考えてもしょうがない

死んだあとに人に迷惑をかけるとか、葬式の費用はどうするとか、そんなことは取り越し苦労だと思います。無いなら無いなりにやるはずですから。

迷惑はどうやってもかかるのだからしかたありません。

電車に飛び込む人に比べたら、一人でひっそり死ぬ人は迷惑のうちには入りません。死ぬ死ぬと何回も人を呼び集める人に比べたら、黙って死ぬほうが迷惑がかかりません。

身寄りがなければ自治体が税金で火葬する

それに身寄りの無い人は自治体が税金で火葬してくれます。今まで高い地方税を何年も払ってきたのだから遠慮は要りません。

そもそも死んだあとのことを今から心配するぐらいなら、生きているうちにうんと楽しんだほうがいいです。



死ぬ心配より自由に生きる喜びを

孤独ということは、裏を返せば気楽で気軽で自由だということです。

多くの人は自由を求めて孤独を選んだのだと思います。しがらみを嫌って気軽な一人を決めたのだと思います。

中には本当に天涯孤独という人もいるでしょうが、ほとんどの人は自分で選んだ道です。

自由と安心は相反する

自由と安心は相反するものです。自由なら常に心配やリスクがあるし、安心ならしがらみという不自由があります。両方を一度に求めるのは贅沢というものです。

自由を選んだ以上、心配やリスクというマイナス面ばかり見ないで、自由をフルに活用して人生を大いにエンジョイしたほうがいいのです。

コツさえつかめば、孤独もけっこう楽しい

足ることを知れば、お金がなくともエンジョイはできます。

孤独死の心配をする暇があるなら、足ることを知ってお金をかけずに人生をエンジョイする方法を知ったほうが、よっぽど健康的だし、得だし、前向きです。

コツさえつかめば、孤独もけっこう楽しいものですよ。

ごきげんよう。


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