かぶとたいぞうです。
私が子供の頃、父の車に乗せられてどこか遠くへ行ったことがあります。
そこは何処か分からないところでしたが、しだいに田舎っぽくなり、奥の方へ入れば入るほど何もないところで、ただ草がぼうぼうと生えているようなところでした。
田舎の原野に何かの事務所が
そんなところに何かの事務所がありました。父は私に車の中で待っているようにと言い、かばんを持って事務所の中に入っていきました。
とても天気のいい日でした。
私はしばらく車の中で待ちましたが、父はなかなか戻ってきません。車の中は暑いし、だんだん不安になってきました。
私が車からおりて事務所の中に入っていくと、父は誰かと話していました。そして私に気づいて「もう少しだから車の中でまっていなさい」と言いました。
仕方がないので車まで戻り、草の生えた風景を見ていました。
動く奇妙な電柱
来る途中でも気がついていたのですが、どういうわけか草しか生えていない原野に、ずっと向こうまで電柱が立っていて、それが動いているのです。
電柱の動きは一定で、全ての電柱が一斉に斜めに傾き、そしてまた一斉にもとに戻るのです。
電柱が動くたびに「キュー、キュー」と音がします。
最初は面白がって見ていたのですが、だんだん奇妙な気がしてきました。
不思議な動きの電柱
電柱が一斉に動く様子が、まるで人の姿のようにも見えるのです。一斉にお辞儀をして、そして一斉になおる。それを繰り返す。不思議な光景です。
事務所の様子を見ましたが、父はまだ戻る気配がありません。
電柱に沿って小道がありました。
電柱の近くまで行ってみよう
一番近くの電柱の近くまで歩いてみました。
電柱に近づくにつれ、「キュー、キュー」という音はしだいに大きくなります。なんだか変な匂いがしてきました。道路の舗装工事の匂いと同じです。コールタールのような匂いです。
電柱の近くまで来ると、それは電柱ではなくワイヤーを引き上げるような大きな機械でした。遠くで見るより背が高く大きな柱に取り付けられた装置でした。
そばまで行きました。ものすごい音、石油の匂い、ずっと向こうまで同じ柱に取り付けられた黒い鉄の機械が一斉に動いているのです。
ジリジリと照り付ける太陽。奇妙な光景。私は急に恐ろしくなって後ずさりしました。そして後ろを振りかえらずに一目散で父の車まで戻りました。
父に電柱のことを話すと
車の中から動く「電柱」をしばらく見ていると、やっと父が車に戻ってきました。
父に「動く電柱」の話をすると、それは石油を汲み上げる装置だと説明してくれました。危ないから近寄ってはならないとも言われました。
このへんの地下には石油があること、このへんの土は燃えることを私に説明しました。そして「少し持っていこう」と言って車から降り、車に積んであったスコップで適当なところを掘って、何かの袋に入れて持ち帰りました。
「この土は燃えるからストーブの火付けに使える」
父がそう言っていたことを覚えています。
記憶は曖昧だが動く電柱のことだけははっきりと覚えている
私が小さい頃の記憶なので、ところどころにあいまいです。「動く電柱」の姿も正確には覚えていませんので上の絵も適当です。
ただ、あまりにも「動く電柱」の光景が奇妙だったので、その後しばらくの間フラッシュバックしていた事を思い出します。夢に出てきてうなされたこともありました。
「動く電柱」のことは誰も知らない
私は「動く電柱」のことを小学校のクラスメイトに話しましたが、誰も見たことがないと言います。
小学校の担任の先生にも話しましたが先生も知らないようでした。
「そもそも北海道で石油が取れるわけがない」などと言う人もいました。
「夢でも見たんじゃないか」という人もいました。
小学校の「私達の北海道」という授業に出てきた「石狩油田」
その後、小学校の「私達の北海道」という授業で「石狩油田」について学びました。でもその時には既に採算が合わなくて廃止されたと書かれていました。
では私が見たのは何だったのだろうか。廃止される直前の石狩油田だったのだろうか。
+++
最近になって「動く電柱」のことをふと思い出しました。
ネットで調べてみると、私が見たのはどうも石狩油田の後の茨戸油田のようです。
茨戸油田
石狩市生振~札幌市茨戸地区で昭和33(1958)年から昭和46(1971)年まで操業していたようです。
出典:石狩遺産
場所も特定できました。
さっそく行ってみました。
茨戸油田跡を訪ねて
ガトーキングダムの駐車場の奥まで行くと道は行き止まりになっていました。
ひとつ南側の道に戻り、橋を超えて奥まで行くと、道は砂利道に変わり、農家のあぜ道のような感じになりましたが、グーグルマップに載っている道なので公道のはずです。どんどん進みました。
砂利道は十字路に別れ、グーグルマップを見ながら左に曲がり、かまぼこ型の倉庫の横を超えると、茨戸川沿いの、どういうわけか舗装された立派な道に出ました。
その道を左折してしばらく進むと上のマップの赤点で示した油田跡に着きました。
現在の茨戸油田跡
ここで道路は行き止まりです。北海道開発局の通行禁止看板が立っていました。
看板の前でしばらく風景を見ましたが、子供の頃の記憶と重なりません。私が見た「動く電柱」の付近には川はなかったはずです。
私が「動く電柱」を見たのは生振か
もう少しネットで調べてみると、当時の茨戸油田はこの茨戸川を超えた北側にも広がっており、現在のガトーキングダムの西側にかかっている生振方面への橋も既にあったようです。
私が見たのは茨戸川の向こうに広がる生振の原野のどこかだったのかもしれません。
「動く電柱」が本当にあったことを確かめたい
それにしても父は当時、なんの用事でこんなところまで来たのか。
全然思い出せませんが、「動く電柱」のことだけは忘れられません。誰か詳しいことを知っている方がいらっしゃれば下の方のコメント欄で教えて下さい。
こんどいっかい茨戸川を超えて生振のほうも探索してみたいです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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