【書評】山本周五郎「寝ぼけ署長」に善悪の真理を見た。「善悪はいつか必ずそれ自らの席に坐る」

かぶとたいぞうです。

山本周五郎氏の「寝ぼけ署長」を読んでいます。まだ半分も読んでいませんが、面白いです。楽しみに毎日少しずつ読みます。



「赤ひげ」の著者

山本周五郎氏の小説は、以前「赤ひげ診療譚」を読んだことがあります。後に黒澤明監督により「赤ひげ」の名で映画化されたものです。

【書評】「赤ひげ診療譚」(山本周五郎)を読んで(黒澤明監督の映画「赤ひげ」の原作)

「寝ぼけ署長」

さて、「寝ぼけ署長」は、一見ぼんやりしていそうな警察署長が、じつは凄腕で、次々と難問事件を解決する話です。どちらかと言うと子供の頃夢中になって読んだシャーロック・ホームズの推理ものに近い内容ですが、「赤ひげ診療譚」に通じる人情ものでもあります。

その「寝ぼけ署長」の小説の前半のほうに、ナレーターである署長の部下のこんな言葉が出てきます。



善悪は

「私どものように長いあいだ警察界にいて世間を見てまいりますと、世の中の正邪というものが案外まちがいなく整頓《せいとん》され、善悪はいつか必ずそれ自らの席に坐る、ということを信ずるようになります。善悪などと一概に云うのは乱暴でもあり、そういう信じ方も甘すぎる嫌いはありますが、まあ大体として誤りはないと申上げて宜しいでしょう」

話の前後を踏まえて意味を簡単に訳すとこうです。

意味

「長く警察の仕事をしていると、悪いヤツは必ずその報いを受けるとこになる、ということを信じるようになる」

「悪いヤツはどんなに善人のふりをしても、どんなに体裁を作ろってうまく行っているように見せていても、必ず悪いヤツはいつか必ず悪いヤツが座るべき椅子に座らされ、善人は善人向けの椅子に座るようになる」

こんな意味だと思います。

軽く言えば、悪いことをすれば必ずバチが当たる、天網恢々(てんもうかいかい=天の網は広い広い、悪者を逃さない)、お天道様は全て見ている、ということなのですが、もっと深い意味があるような気がします。



悪いことはできない

経済界でも人を出し抜いたり人を蹴落としたり踏み台にして、のしあがったような経営者は、晩年になって誰にも相手にされません。誰にも助けてもらえません。冷ややかな目で見られています。たぶん本人も気がついて歳をとってから自分を責めることになります。そんな経営者を知っています。

だから、やっぱり悪いことをしてはならないのです。因果応報、因縁果報なのです。

私も知らないうちに悪いことをしているかもしれないので、今後も日々気を付けます。

悪いヤツ用の椅子には座りたくない

私はこの歳になって、今さらお金儲けをしたいとも思わないし、大物になりたいとも贅沢をしたいとも自慢したいとも思いません。きっぱり。

でも晩年になって悪いヤツ用の椅子に座るのは嫌です。

まぁ、もっとも、どの椅子に座るかを決めるのは「自分の良心」なので、自分が決めると言ってもいいのですが、この「自分の良心」にはどんな嘘も通じません。「自分の良心」が一番の強敵なのです。



「自分の良心」に、ごまかしは通用しない

「自分の良心」は今までの全てのことを知っていて、ごまかしはいっさい通用しないのです。

ごきげんよう。


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