【FIRE】孤独を楽しめない人には早期リタイアは難しい。「社会との関わり」は小学生のドリフ話題に似て

かぶとたいぞうです。

お金の問題とは別に、社会との関わり、社会との接点を失いたくないという理由で引退、リタイアメントを嫌う(恐れる)人たちが結構います。

そういう人たちは定年後も働きます。お金があっても仕事をやめません。



一度リタイアしても仕事に戻る

定年退職して一度リタイアしても、毎日することがない、退屈だという理由でまた働き始めるのです。人によっては「社会との接点を失うことが不安だ」「社会との関わりがなくなると自分だけおいていかれるようで心配だ」と言います。

そういう人にはFIRE(=Financial Independence, Retire Early=経済的に自立して早期リタイア)は無理です。

人と関わることは良いこと

私も人と関わることは良いことだと思います。

思えば私も人生の大事な局面で、人の言葉に出会い、その影響を受けて人生について深く考え、何かを決断して実行して人生を切り開いてきました。

友人は大事です。時には小説や映画の主人公の言葉(=作家の言葉)に動かされることもあります。

1人で考えていても解決できない時は、積極的に人に会ったり、優れた作品に触れることで解決や思考のヒントを得ることがあります。



仕事をやめても社会との関わりは無くならない

しかしその事と、「社会との接点、関わりを失いたくない」ことは全然意味が違うと思います。

私は何もしていませんが、人とは会っています。映画も小説も読んでいます。孤立などしていません。社会との接点は十分にあると思っています。

だから、リタイアしたからといって社会との接点がなくなるとは思えません。むしろ取捨選択して会いたい人とだけ会えるし、会うスケジュールも自由なのです。時間があるから何でもできますし、どこにでも行けます。

「社会との接点や関わりを失いたくない」という人の本心

「社会との接点や関わりを失いたくない」という人の本心は、どちらかと言うと、一人でいるのが寂しい、常に仲間と一緒にいたい、何かの組織かグループに所属していたい、誰かといつもおしゃべりしていたい、誰かの指示で動いていたほうが楽だ、組織のメンバーでいたほうが安心だ、毎日決まりきったルーチンで行動が決まっているほうが楽だ、などといった気持ちに近いのではないでしょうか。

小学生の時に毎週土曜の午後8時にドリフの「8時だよ、全員集合」を見ないと、次の日のクラスメイトとの会話についていけない、という気持ちに近いような気がします。

所属意識といっても良いかもしれません。



ひとりでいられない

ひとり静かに沈思黙考するのが苦手な人です。常に誰かがそばにいないと寂しい人です。他人の評価や情報共有に動かされる人です。自分で考えて行動するのが苦手な人です。

私は1人で静かに考える時間が好きなので、1人でいても楽しいし、会いたい人とは積極的に会います。寂しいと思ったことはありません。だから今でもひとりでパタヤにいるのです。

人生は人それぞれですから、所属意識の高い人、常に誰かと一緒にいたい人、誰かに命令されたり、誰かの指示に従っていたほうが楽な人、誰かに頼りたい人がいても良いと思います。

生き方に良い悪いはありません。その人の性格に合わせて、その人の生きたいように生きれば良いと思います。

ただ

ただひとつだけ。

精神的に独立していないと、いざ死ぬ時に苦労すると思います。

臨終の時はひとりです。仲間と一緒に死ぬことはできません。家族がいても死ぬ時はひとりです。孤独です。医師の指示に従っても死にます。どんなに良い病院や施設に入っていても死にます。

常に人と一緒にいたり、人と一緒に何かをしていないと不安な人は、死ぬ時に寂しすぎて泣いてしまうのではないでしょうか。



誰かの「考えるヒント」になれば

それも人生ですが、私はそうなりたくないので早く精神的に独立して、ついでに経済的にも独立して早期引退しました。

自慢げに聞こえたらお詫びいたします。

誰かの「考えるヒント」になれば幸いです、

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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