かぶとたいぞうです。
私ごとですが、実母が息を引き取りました。
それで昨日はブログを更新できませんでした。
今日も書けないかなと思ったのですが、書きます。
満92歳で老衰で安らかにあの世に旅立ちましたので、悲しみも後悔もありません。
むしろ母が死んだことにより、一緒にいられる時間ができて嬉しく思っています。
母は最後は特別養護老人ホームで息を引き取りましたが、コロナでずっと面会謝絶だったのです。
それが衰弱していったので施設から連絡が来て、特別扱いで母の個室に入ることができました。
臨終に立ち会えて良かったです。
無事に見送りを終えて、今は私の自宅にて一緒に過ごしています。
母は仏になったので、時空間の縛りから開放されました。だから今朝も私の家で一緒にご飯を食べました。
死んで生きたのです。
つまり、母は死んだことによって自由にどこにでも行けるようになって、私の家にも来ることができたと私は解釈しているのです。
おかしな解釈かもしれませんが、今私はそう感じています。
今日はこれから家の畑でとれたキューリで、母の好きなキューリの塩揉みを作ろうと思っています。
そういうことなので、短いですが今日はこれくらいで失礼いたします。
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著者かぶとたいぞう拝。
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