かぶとたいぞうです。
私が今住んでいる家は、まだバブルの余韻が残る30年以上前、昭和の終わり頃に建てた戸建てです。
私はまだ30歳になったばかりでした。先輩が「今建てないと住宅の値段はもっともっと上がって、そのうちに札幌市内には家を建てられなくなる」と強く勧めるので、無理して借金をして家を建てました。住宅金融公庫の利息は8%くらいでした。
ところが私が家を建てたとたんに土地も建築費も安くなりました。がっかりしましたが、仕方ないと思いました。
筋向いの三角屋根の家
さて、私が家を建てた2年ぐらい後に、私の家の筋向いに三角屋根のシャレた家が建ちました。
当時は屋根に電熱線を入れて、屋根に積もった雪を溶かす「無落雪」住宅が流行りでしたから、三角屋根はむしろ懐かしく新鮮な趣がありました。壁の色も窓の造りもおしゃれでした。
三角屋根のオーナーは、ほっそりした若者
オーナーは私と同じ30歳ぐらいのほっそりした若者で、話したことはありませんでしたが、私はなんとなく親近感を抱きました。
新興住宅地だったので、私の家の近所には次々と家が建てられましたが、どの家もご主人は40歳くらいの人でした。私ほど若い人はその三角屋根のご主人以外にはいませんでした。
話したことはない
「いつか機会があったら話してみたい」
そう思っていましたが、当時の私は忙しく、自宅に帰れなかったり、深夜に帰って早朝出かけるような生活でしたから、会って話す機会はありませんでした。
あれから30年。
ほっそりした老人
先日、庭仕事をしていると、筋向いの三角屋根の家からほっそりした老人が出てきました。
その後、娘でしょうか、30歳代くらいの女性と、母親らしき初老の女性が出てきて3人で車に乗り込み、どこかに出かけました。
「あのほっそりとした若者が、あんなジジイになったのかぁ」
光陰矢の如し
そう思った瞬間。
「そういう私もけっこうなジジイになったのだ」
と自覚したのでありました。
光陰矢の如しとは言いますが、30年はあっという間でした。
あの時、筋向いに住むほっそりとした青年に話しかけていれば、その後たまには挨拶をしたり立ち話をしたりして仲良くなっていたかもしれません。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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