かぶとたいぞうです。
子供のころ。朝早く起きて、することがないから布団の中から出て、東に向いている窓から外を見ようと思いました。
カーテンを開けると朝日が眩しく、窓を開けると風が心地よかったです。
後ろから母の唸るような声がしました。眩しいからカーテンを閉めなさい、まだみんな寝てるでしょ、と怒るのです。
天気のいい朝、私だけ朝早くから起きていた
振り返ると両親ともまったく起きる気配がなさそうです。姉も寝ています。
私は仕方なく一階まで降りていって外に出ました。東向きの玄関は朝日に照らされてとても暖かかったです。
その日私は暖かな日差しを浴びながら玄関前にずーっと立っていました。ただ単に温かいだけではありません。なんとも言えない、いい気分なのです。太陽が優しいのです。
私は天気のいい朝の玄関前が気に入った
私は暖かな玄関前が気に入ったので、それ以降も天気のいい日に朝早く起きた時は、いつも玄関前に出て朝日を浴びてずーっと立っていました。
私ひとりが朝早く起きて、私以外の家族がぜんぜん起きてこないから退屈ですることがなかったのです。家の中で音をたてると怒られるので玄関の外にいるしかありませんでした。
道行く人を眺めるのもけっこう楽しい
東向きの玄関の前はとても暖かく、道行く人を眺めているのもけっこう楽しかったです。新聞配達、牛乳配達、行商人、掃除する人。近所のおじさん。
姉がまだ幼稚園に入る前の頃の話しですから、私がまだ2歳か3歳の時の思い出です。我ながらよくそんな昔のことを覚えているなと感心します。
三つ子の魂百まで
「三つ子の魂百まで」と言います。私は今でも東に向いた窓やバルコニー、テラスなどで陽に当たりながらボーッとするのが大好きです。子供の頃に体験したのと同じ、なんとも言いようのない、いい気分になるのです。太陽に溶け込むというか、太陽と一体になるというか。懐かしい気分なのです。
タイでも私が住むアパートはいつもバルコニー付きです。朝はバルコニーでコーヒーを飲みながら道行く人たちを眺めます。
今住んでいる札幌市郊外の戸建て住宅にもリビングの東側と南側の角に大きな出窓があります。冬でも天気のいい朝は陽に当たりながら景色を見たり野鳥を見たり、お茶を飲み読書したりします。
忙しく出歩きたくもないし、かといって寝ていたくもない
もうテレビを見たり、忙しく出歩いたり、電話で誰かと話したり、人に会ったりしたいとは思いません。
「世の中に寝るより楽はなかりけり」とも言いますが、ずっと寝ていたいとも思いません。子供の頃から朝は一番早く目が覚めました。目が覚めているのに布団の中に入っているのは退屈です。
人生の幸福とは
私は今、天気のいい日は朝日を浴びてボーッとしながら幸せを感じております。それは既に3歳児の頃には感じていたことなのです。子供の頃好きだったことが大人になっても好きなのかもしれません。
人生の幸福というものを考えるとき、案外こんなことが幸せの概念に一番近いことなのではないかと、最近はつくづく思うのです。
若い頃の幸福感
思えば、若い頃は、がむしゃらに稼ぎ、贅沢をしたり、高価なものを持ったり、人がうらやむようなことをして「幸せ」を感じていたように思います。
人生6分野とか7分野とか言われていますが、そのどの分野でも成功している状態が「幸福」だと教えられました。すなわち、
幸福感を決める人生6分野とか7分野
- お金を充分持っている
- 家庭がうまくいっている
- ビジネスで成功している
- 学問分野で達成している
- 趣味、余暇、レジャーを充分楽しめる
- いい友人に恵まれている
- 心の平安が保たれている
などです。
最後の2つ以外は、お金さえ十分にあれば成功しやすいので人はお金に固執するのだと思います。私もそうでした。
そして若い頃の私は自分がある程度「幸せ」なのだと、思い込んでいたのです。
今はそんなものに幸せを感じない
でも今はお金を使って贅沢をしたり、いろいろなものを買ったり、いろいろなことをやっても、あるいはビジネスで成功したとしても、たぶん「幸せ」は感じられないような気がします。
以前よりお金が使えなくなったので負け惜しみを言っているのではありません。例えお金が余るほどあって、いくらでも使えたとしても、もうそんなことで幸せを感じられるほど単純ではなくなったのです。
歳をとると「心の平安」こそ幸福
あえて人生6分野とか7分野とかに当てはめれば、最後の「心の平安」こそが今の私には大事なのです。
それ以外の分野は死を意識したとき、あまり意味をなさないものだからです。
陽にあたってボーッとしていると心が平安になり幸せを感じる
そして私は今、天気のいい日に陽にあたってボーッとしている時が一番心が落ち着き幸せを感じるのです。
これはお金がなくても感じることができます。逆にいくらお金があっても、感じることができない人には、感じることができないものなのかもしれません。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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