かぶとたいぞうです。
私にとって「がんばろう」という言葉ほど嫌な言葉はありません。
私にとって「がんばろう」は嫌な言葉
特に上から目線で「がんばろう」と言われると否定されているような気がして腹が立ちます。
私が小学校にあがった時は学業成績評価は5段階でした。5が一番良くて1が一番悪いのです。
しかし当時、評価を数値で表すは残酷だ、冷たいし分かりづらいと言うことで、途中から評価方法が変わりました。
新しい評価方法は3段階で、一番いいのが「たいへん良い」中間が「良い」そして一番下が「がんばろう」でした。
他の小学校から転任してきた女の先生
新しい評価方法に変わった年に担任が女性の先生に変わりました。他の小学校から転任してきたばかりの50歳ぐらいの女性の先生でした。
その先生は最初はニコニコしていたのですが、途中から裏表のある態度に変貌し、生徒をえこひいきするようになりました。
お金持ちの家の子や立派な会社員、国鉄職員などしっかりした家の子ばかりを可愛がるのです。お中元やお歳暮を先生に出さない家の子は無視されました。
私の家は商売がぱっとしないし、先生に贈り物など決してしない家だったので、ぞんざいに扱われました。
それでも私は先生に大事にされようと思い努力しました。しかし家庭訪問の後から露骨に無視されるようになりました。うちのあばら家を見て見込みなしと思ったのでしょう。
女の先生による露骨なイジメが始まった
先生があまりにも私を無視するので、どうしてなのかと先生に意見したことがあります。すると、それ以来先生から徹底的にイジメられるようになってしまいました。なぜだか分かりませんが、女の先生が私を執拗にイジメるのです。
今日は顔を洗ってないだろうとか、爪が伸びているとか、そんなことを毎日のように言われて、授業中に手を上げてもあててくれません。
「お楽しみ会」という学級イベントで劇をやりました。起死回生と思いセリフを大きな声で言ったら「うるさい、声が大きい!」と嫌な顔で怒られました。張り切って頑張ったら怒られ、なじられるのです。嫌な思い出です。
小学生で分かったイジメの構造
イジメというのは伝播します。先生が露骨に私をイジメるようになると、クラスメイトも私をイジメるようになりました。もうガッカリ来て反撃する気も起きません。するともっと多くの生徒が私をイジメるようになるのです。誰も助けてくれません。商売で大変な親に心配をかけたくないので、親にも言えません。
小学校3年生で世の中のイジメの構造が理解できました。小学校で先生に嫌われたら逃げ場がありません。死にたい気持ちになったことが何回もあります。登校拒否になる子供の気持ちがよく分かります。私も学校へは行きたくありませんでしたから。
えこひいきをする先生は必ずいる
母がどこかから聞いてきた噂では、前の小学校で過度な「えこひいき」がPTAで問題となって、この学校に飛ばされてきたそうです。
その先生が私に下した学業成績評価が、すべて「がんばろう」だったのです。
成績評価30項目すべてが「がんばろう」
教科は8種類くらいでしたがそれぞれ評価項目が3〜4項目あったので、評価項目は全部で30項目ぐらいあったのですが、それがすべて「がんばろう」でした。
小学校3年生の私は内心「そこまでやるか」と思いました。先生はニコニコ顔で「がんばろうね」と皮肉たっぷりに言っていました。今でも忘れられない嫌な顔です。
過去の思い出は心の中で次第に美化されますが、この先生だけは今でも思い出すたびに腹が立ちます。きっと一生許せないと思います。
「がんばろう」の意味
先生の言葉は「あなたは何をやってもダメ、すべてダメ、多少良いところがあっても絶対に認めません。全否定します。努力しても無駄です」と言っているように聞こえました。
オールドミスの先生とのこんなやり取りが小学校4年生の終わりまで続きました。
若い男の先生に救われた
5年生になってクラス替えがあり担任が若い男の先生に変わりました。
その先生は、私のすることをすべて褒めてくれて私もすっかりやる気になりました。
声が大きいということで学芸会では演劇の役をやらせてもらいました。「百姓1」という脇役だったのですが、頑張りすぎて主役を食ってしまいました。
学芸会終了後、怒られるのではないかと内心ビクビクの私に、その若い男の先生は「素晴らしい」「抜群だ」と褒めてくれました。
同じことをしても、世の中にはなじる人と褒めてくれる人がいることを知りました。以来、私はがんばってみようという気持ちになりました。
よく「自分が変わらないと環境は変わらない」とか「環境を変えるのも自己責任だ」という人がいます。しかし、私の場合、変わったのは担任の先生だけで、私自身は担任の先生が変わる前後で何も変わっていません。
出会いが変われば運は開けます。私は運が良かったのです。
若い男の先生のおかげで成績も上がってきた
担任が若い男の先生に変わってからは、私の学業成績も次第に良くなり「たいへん良い」ももらえるようになりました。
小学校6年生になると、「たいへん良い」と「良い」と「がんばろう」が同数くらいになりました。
そうなると、「がんばろう」がついた評価項目も本当にがんばろうかなと思えるようになりました。
その若い男の先生は今は老人になりましたが、今でも私の恩師であり恩人です。
「がんばろう」の本来の意味は悪くないのだが
「がんばろう」という言葉自体は悪い言葉ではないと思います。
私の娘が小学校に上がり、運動会で父兄参加競技がありました。その時に娘から「パパ、がんばって〜」と言われて本当に頑張っちゃいました。娘の「がんばって」はやる気になります。
上から目線の「がんばろう」はぜんぜん違う
しかし、上から目線で「がんばろう」と言われるのはニュアンスがまるで違います。
「がんばろう」は体のいい「ダメ」という意味なのです。
いつからか、世の中全般、言葉だけをオブラートにくるんで分かりづらくし、実際には相手を冷たく突き放すような表現ばかりとなってしまいました。どんなに丁寧な言葉でも、どういう意味で使っているのか分かっているだけに余計に腹立たしいのです。
特に行政が「がんばろう北海道」とか「コロナに負けずにがんばろう」などという標語を使うと、無性に腹が立ちます。
「おまえこそがんばれ」と言ってやりたくなります。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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