かぶとたいぞうです。
ネットでいろいろなニュースや記事を読んでいて「しあわせって何?」という問いかけがタイトルになった記事を見つけました。
なんかテレビ番組の宣伝のような記事だったので内容は読みませんでした。
でも、そんな問いかけがタイトルになるんだから「幸せとは何か」を考えている人はけっこう多いのかもしれません。
幸せの正体は分かっている
私は幸せの正体を知っています。
とても簡単で、自分が幸せだなぁと思えば幸せです。それ以外に何の定義も概念もありません。
私は比較的に幸せだと思いやすいタイプなので、けっこう幸せな人です。美味しいものを食べただけでも幸せになれます。誰が何と言おうと、自分が幸せだと思っているのだから幸せなのです。
でもいつも幸せであるのは難しい
でも、私も不幸になる時があります。
「禍福は糾える縄の如し」
幸福と不幸(禍、わざわい)は編んだ縄のように裏表一体で、幸せの後には不幸せ、不幸せの後には幸せが来るのです。
「人間万事塞翁が馬」
幸せが不幸の原因となり、不幸せが幸せの原因になります。結婚すると幸せになりますが、そのうちに相手を煩わしく思い、結婚が不幸の原因になることもあるのです。そうでなければ離婚がこんなに多いはずがありません。
幸せになりたいなら、先ず不幸になる
だから幸せになりたいのなら、その前に不幸せになるのがいいのです。うんと辛い思いをしたら、その後にはうんと幸せに思うはずです。
仏教修行の最終到達点は絶対的幸福感(=仏)ですが、我々凡人はなかなかそこまでは到達できません。だから相対的幸福感を求めるしかありません。相対的とは何かと比較して、という意味です。他人と比較してもしょうがないので、過去の自分と比較して幸せを感じるしかありません。
相対的幸福感
「あの時の苦しさ辛さに比べると、今は天国のようなものだ」
そう思って幸せを感じるのです。私は幼少期から学生時代にかけて、お金でさんざん苦労したので、社会人になってからはいつも幸せを感じます。今も幸せを感じやすいのは、若い頃の苦労が効いているのかもしれません。
幸せになるコツ
幸せになるコツは、過去の不幸を忘れないことと、それに比べると今のほうが幸せだと素直に感じて感謝することです。決して「もっともっと」と強欲にならないことです。「足ることを知る」ことです。
私もいつかは絶対的幸福感を獲得したいですが、それは死ぬ直前でいいと思っています。
生身の人間は喜怒哀楽。喜んだり、怒ったり、哀(かな)しんだり、楽しんだり。それでいいと思います。そっちのほうが楽しいです。
幸せな時間は長く、不幸な時間は短く
でも、できるなら、なるべく幸せな時間は長く、不幸な時間は短くしたいものです。
その為には、あまり深く考えすぎずにサラサラっと生きるのが良いです。
特に他人のことで悩んだり怒ったりするのが一番無意味です。
「あの人はそういう人なんだ」と諦める
「あの人はどうしてそうなんだ」と思わずに、「あの人はそういう人なんだ」と諦めて、気にしないことです。どんなに気にしても相手は変わりませんから。
人の悩みの8割は他人のこと(人間関係)だと言われてます。だから他人のことさえ諦めれば、悩みの8割は無くなります。
他人に振り回されず、なるべく幸せを感じて生きたいものです。
嫌なことが起きたら、「これは次の幸せを感じるために必要なこと」だと思って受け入れて、くよくよせずに次の幸せを待ちます。
次の幸せは案外早く来るものです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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