かぶとたいぞうです。
あれだけ毎日散歩をしていた私が、ふと気づくと最近はまったく散歩をしていません。原因はスクーターです。
去年の夏、小型二輪の免許をとって、125ccのスクーターに乗り始めました。それで私の生活は劇的に便利になりました。
スクーターは便利で楽
それまで何十分も歩いて行っていた買い物も、スクーターで行くようになりました。
いちどスクーターで買い物に行くようになると、楽で便利で、もう歩いて行けません。
足が弱る
これでは足が弱ると思って、初めのうちは意識して歩きました。3回に1回は歩いて買い物に行くとか、雨の日は傘をさして歩いて買い物に行くとか、買い物以外でたまに散歩するとか。
ところが続きませんでした。
歩いて買い物に行くことはほとんどなくなり、雨の日は外へ出なくなり、買い物以外で散歩することはまったくなくなりました。
家の周りを目的もなく散歩する気にならない
パタヤやチェンマイや那覇にいる時は、歩いたことのない道や見たことのない景色を見たくてワクワクして歩きます。でも自宅の近所だと、どこに何があるのか全て分かっています。新鮮な興味がわきません。
だから買い物など、何か具体的で利のある目的がないかぎり、なかなか行動が起きないのです。
と言うより、どこかに行きたくなったらスクーターで行ってしまいます。
歩かないから体重が増え、体調もすぐれない
最近は歩かないから体重が増えました。心なしか、体の調子も悪いです。常にだるいのです。
これからパタヤに移動するというのに、体調がすぐれないのは不安です。
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人生楽あれば苦あり
「人生楽あれば苦あり」と言います。水戸黄門の主題歌にも使われています。
人生は楽と苦労の繰り返しで、楽の後には苦労がある、という意味にとらえられがちですが、本当は「楽は苦労の種であり、苦労は楽の種である」という意味です。
楽なことは、それそのものが同時に苦労を作るもとであるというのです。
禍福は糾える縄のごとし
語源は「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄のごとし」という言葉で、中国の古い書物のいくつかに出典があります。
わらで編んだ縄と同じで、1本1本のわらは、どちらが表でも裏でもない、表が裏にもなり、また表になる。禍福は表裏一体という意味です。
漢書賈誼伝にも史記南越伝にも南総里見八犬伝にも出てきますから、おそらく中国に昔からある言葉なのでしょう。
人間万事塞翁が馬
「人間万事塞翁が馬」も同じ意味です。
塞翁がひろった良馬のために、最愛の孫は落馬して足の骨をおるのです。しかし孫は足の骨をおったおかげで兵役を逃れ、死なずにすむのです。
良いことがすなわち禍(わざわい)のもとであり、禍がすなわち福のもとになるのです。
禍(わざわい)転じて福となす
ついでに、「禍(わざわい)転じて福となす」とは、禍と福は表地一体なのだから、悪いことが起きたらその良い点を見て福だと思うプラス思考のことです。
私はそれらの言葉は昔から知っているのに、まったく体得ができていなかったのです。まだまだ修行が足りません。
よし、散歩に出る
私は今日これから散歩に出ます。「禍(わざわい)転じて福となす」です。
秋晴れの北海道。青い空、白い雲。爽やかな空気。1時間も歩けば何かいい考えも生まれ、体もほぐれるでしょう。
何回も歩いた道でも季節が変われば景色が変わり、何か新しい発見があるかもしれません。
少しワクワクしてきました。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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