かぶとたいぞうです。
暇なので「菜根譚」を久しぶりに読んでいます。
もう何度も読んだ本なので欄外にびっしりメモや考察が書かれています。自分の字なのですが、書いたことすら思い出せないものが多いです。最後に読んだのは、もう20年も前です。
「菜根譚」第70項目
「菜根譚」第70項目にこんなことが書かれています。
幸福はこちらから求めて求められるものではない。ただ楽しい気持を養い育てて、幸福を招き寄せる用意をする外はない。
この項目にはメモ書きがないので、以前は素通りした項目に違いありません。
いま読むと合点がいきます。
幸せとは
人は「幸せになりたい」と念じますが、自分にとっていったい何が幸せなのか。自分がどうなったら幸せなのか。それすら分かってない人が多いのです。
それで、とりあえずお金を貯めたり、何かを買ったりするのですが、なかなか幸せを実感できません。
恋人ができれば幸せになれると思っても、その恋人が不幸せの種になることだってあるのです。
人生波乱万丈
人生波乱万丈。いいことばかりではありません。
例えどんなことがあっても、それを受け入れて人生の糧にするような気構えが必要です。そうすれば心の平安がたもたれ、幸せが舞い込んだり、あるいは特に何か目新しいことがなくとも、毎日の生活そのものに幸せを感じることができるようになります。
幸福感
「幸福感」とは、人生への満足感や喜び、充実感など、個人が主観的に感じる肯定的・心地よい感情の状態を指します。「自分の真価を発揮する活動」(自己実現)や「良好な人間関係」、「心身の健康」、「生活の安定」などによって高まるとされます。単なる快楽だけでなく、内面的な充足感や精神的な豊かさを含む概念だそうです。
ひとつ大事なことは、「幸福感」「幸せ感」は極めて主観的なものであり、自分自身が「幸せだ」と感じれば幸せなのです。
主観的=自分がどう感じるか
たとえ他人が「あなたは不幸だ」と言っても、本人が幸せだと感じるのであれば幸せなのです。逆に他人が「幸せだね。うらやましい」と言っても、本人が不幸だと感じるのなら不幸なのです。
だから最初に言ったように「自分はどうなったら幸せなのか」を知っておく必要があります。
いずれにしても
ただ、いずれにしても「楽しい気持を養い育てて、幸福を招き寄せる用意をする」のは正しい姿勢だと思います。
「笑う門には福来たる」
楽しい気持ちでいれば、自分にとって何が幸せなのかも思い出しやすいし、楽しい気持ちでいることそのものが幸せであるという実感に結び付くことにも気づくはずです。
眉間にシワを寄せて「幸せになりたい」と言っても幸せは遠ざかると思います。
楽しい気持を養い育てる
楽しくもないのに楽しそうに振る舞うことはできないかもしれません。でも何か方法を考えて気分を変えて、自分の心の赴く方向を少しでも良い方向に向かわせる努力はできます。
「楽しい気持を養い育てる」とはその事を言っているような気がします。
腹が立った時、自分がバカにされているのではないかと思った時、相手を痛い目に遭わせてやりたいと思った時、悲しみにうちひしがれた時、相手を疑ったとき、自分のバカさ加減にうんざりした時。退屈でしかたがない時。
工夫、努力
そんな時に何をして気分を変えるか。どうやって楽しい方向に舵を切るか。
- しばらく黙る
- 中座する
- シャワーを浴びる
- よく寝る
- 歩いてみる
- 本を読む
- 人の話を聞く
- 旅に出る
- 面白い話、笑える話を思い出す
- 気分を買えるキーワードを思い出す
色々工夫、努力して、「楽しい気持を養い育てる」ことは可能だと思います。
再認識
その努力をしないで、ただ「楽しくない」と訴えても、誰も自分を楽しい気分にしてくれません。
久しぶりの「菜根譚」で、そんなことを再確認、再認識させてもらいました。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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