【生きかた考えかた】徒然草第75段、つれづれわぶる人は、いかなる心ならん

かぶとたいぞうです。

パタヤでひとり静かに暮らしていると、色々なものが見えてきます。

特に自分自身が見えてきます。



ひとりで寂しくないか、退屈でないか

「パタヤでいつもひとりで何をしているのですか」「寂しくないですか」「退屈ではないですか」「私なら3日ともちません」

そんなことを私に言う人がたくさんいます。

私はなんと答えたらいいか分からず、「ひとりでいるのもけっこう楽しいものですよ」としか答えません。実際、ひとりでいることが楽しいのです。

理解してもらえないが

でも、それをどんなに説明しても、相手には理解してもらえません。理解できる人は、最初からそんな質問をしないですから。

徒然草第75段にこうあります。

「つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ」



徒然草第75段の意味

私の意訳はこうです。

退屈を嘆いたり、ひとりでいるのが寂しいと嘆く人がいるが、いったいどういう了見か。心を乱す俗世の雑事から離れ、ひとり静かに過ごすことこそが最も素晴らしいではないか。

吉田兼好の言葉は続きます。

「世に従へば、心、外の塵に奪は
れてまどひやすく、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ」

つづき

私の意訳。

世間に同調して従っていれば、心は外の雑事に奪われて迷いやすくなり、人と交際すれば、言葉は相手の受けとめかたを気にしてつくろってしまい、自分の本心ではなくなってしまう。人と戯れ、物事を争い、ある時は恨み、ある時は喜ぶ(一喜一憂する)のがオチだ。

つまり、こうです。

「ひとりでいる時間こそ、自分自身を見つめ、自分の考えをまとめるのに最良だ。心も落ち着き平安を得て幸せな気分になれる。ところが、人や世間に流されて生きると、自分の心を失い、空気を読むことばかりおぼえ、駆け引きや迎合で心が疲れ、一喜一憂を繰り返すばかりだ」



私と徒然草

私は高校時代に古典の成績が悪く、出席日数も足りなかったので落第するところでした。しかし、3年生の時の古典の先生(担任)が温情で私に課題をくれました。徒然草を読んで感想文を書けば卒業させてやると。18歳の私は先生がくれた徒然草一冊を必死で読みました。

それが今になって効いているのかもしれません。古典の先生に感謝します。

寂しがり屋だった私が、いったいいつから孤独を楽しめるようになったのか、全然思い出せません。

でも、心の片隅に、この徒然草第75段がいつも存在していたのは確かなような気がします。

ごきげんよう。


【関連性の高い記事】



【かぶとたいぞう有料ノート】

【あわせて読みたい】


同じカテゴリーの最新記事5件


「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。


記事のカテゴリー/タグ情報

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*