かぶとたいぞうです。
私は知りませんでした。
酒やご馳走をおごれば、相手は喜ぶものだとばかり思っていました。だから私は若い頃から、多少無理をしてでも身の回りの人たちには振る舞ってきました。
おごりは奢り、思い上がり
でもそれば文字通り私の「奢(おご)り=思い上がり」だったようです。
相手との関係にもよるだろうし、おごる頻度などにもよるとは思いますが、こちらがおごってばかりいると、あいては感謝するどころか次第に卑屈になり、最後には恨まれることがあるということが分かりました。
いつもおごる相手からの告白
以下は相手から直接聞いた言葉の趣旨です。ある時、親しい人が次のように私に告白してくれたのです。
ーーー最初は美味しいものを食べさせてくれるので嬉しかった。でもたまには自分もお金を出したかった。せめて割り勘にしたかった。
ーーーでも自分にはお金がない。そのうちに奢られるのが辛くなった。いつも自分が下の立場のようで嫌だった。でも半ば強制的に呼ばれるので仕方がなかった。おっくうだったが、相手は自分におごっていい気になりたいのだろうから付き合ってやろうという気持ちになった。
※
ーーーそのうちに、奢らせていい気にさせてやっているのだから、相手が金を出すのが当たり前だという気持ちになった。飲みながら自慢話を聞かされたり、相手の話に合わせてやっているのだから、ご馳走だけでは足りないくらいに思った。いつも嫌な気分で付き合っていた。
ーーーでも美味しいものは食べたいし、高い酒も飲みたい。だから嫌だと思いながらも、ついつい付いて行った。
ーーーそうこうしているうちに次第にそんな自分も嫌になり、こんな気分にさせた相手を恨むようになった。
ーーー今まではおごられて嬉しそうな顔をして見せたけど、本心は恨んでいた。
ざっとこんな感じのことを相手から言われたのです。
本心だったと思う
その時も私のおごりで相手は相当飲んで酔っ払っていたので誇張もあるかもしれませんが、本心だったと思います。
私は無理に誘ったことはありませんが、相手には強制的に感じたようです。ちょっとした身の上話も、相手には自慢話に聞こえたようです。
青天の霹靂
まったく気づきませんでした。てっきり相手に感謝されているとばかり思っていたのです。青天の霹靂でした。
私も若い頃はお金で苦労したので、年下の人やお金のなさそうな人を見ると、ついついお金を出したくなっちゃうのです。
自己満足や思い上がりが自分の心の中にあったのだ
しかし実際は親切心ではなく、自己満足や思い上がりが自分の心の中にあったのだと思います。だからその下心が相手に見抜かれたのだと思います。
これからは気をつけます。
気をつけておごる
もう二度とおごらないという話ではありません。
相手の気持ちを考えて、気をつけておごるということです。相手は案外嫌な気持ちで奢られているかもしれないと思いながらおごるということです。
おごるのも難しいですね。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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