かぶとたいぞうです。
今年は東日本大震災からちょうど10年ということで、地震や津波の教訓を取り上げたニュース、報道などが多いです。
津波の教訓としてこんなことを言う人がいました。
「とにかくすぐ行動すること。考えている暇はない。今回の震災ではすぐに動いた人が助かった」
すぐに動けばいつも助かるのか
その話を聞いて私は全く逆の話しを思い出しました。「特攻隊の生き残り」を自称する老人がかつて私に行った言葉です。
「船が砲撃を受けて沈む時、真っ先に海に飛び込んだ人たちはみんなおぼれて死んだ。最後まで飛び込まずに船に残った者が救助で助かった。いざという時は動かない事が大事だ」
どちらも正しいしどちらもまちがっている
どちらの教訓が正しいのでしょう。たぶん両方とも正しいし両方とも正しくないのだと思います。
東日本大震災のその地域の津波に関しては、すぐに動いた人が助かったのです。だからといって災害時にはすぐに動いた人がいつも助かるとは限りません。動いて被災する人もいます。
第二次世界大戦で「特攻隊の生き残り」の人が乗っていた船の場合は、その時に飛び込まなかった人が助かったのです。だからといって沈みゆく船に残った人がいつも助かるとは限りません。船と一緒に沈んで死ぬ場合もあります。
津波に関しては毎回高台に登れば無難だが
津波に関しては少しでも危険を感じたら、たとえ徒労に終わろうとも高いところに登るに越したことはありません。もし津波が来なかったとしても疲れるだけで済みます。津波が来てしまったらもう逃げ切れないかもしれません。
しかし、津波警報が出されるたびごとに高台まで走る人はそれほど多くはありません。特に雪の中、雨の中、深夜の暗い中、毎回身支度して山に登るのは口で言うほど簡単ではありません。警報に反して津波が来なかった場合みんなに後で笑われるのです。何回かのくたびれ儲けの後、ほとんどの人は油断してしまいます。
命に関わる惨事から逃れることは簡単ではない
また、本当に命に関わる時というのは、予め想定した方法でピンチを逃れられるほど簡単でも単純でもありません。どっちが正しいのか最後まで迷い、そしてどっちを選択しても死ぬ人は死ぬし助かる人は助かるのです。
そのときに助かった人は運が良かっただけかもしれません。助かった人の話を聞いて次回同じ方法をとっても、助かるとは限りません。毎回結果が変わるのです。
だから災害は大変なのだ
だから難しいのであり、だからたくさんの人が死ぬのです。教訓や訓練や想定どおりにやって助かるのなら大惨事にはなりません。
このように災害や有事の際の最良の選択肢は場合によって違うのであり、常に正しい方法や常に有効な教訓などないような気がします。
しかし一つだけ真実だろうと思う教訓があります。
「津波てんでんこ」です。
「津波てんでんこ」とは
「津波が来たときは親も子もない、自分だけ助かろうと思ってみんなてんでばらばらに高いところに逃げなさい」という教訓です。
昔から三陸岩手に伝えられるこの教訓を「自分勝手な発想だ」と批判する人がいますが、それは浅はかな考えです。
親子、家族がお互いに心から相手を信じるからこそ、てんでんこに走るのです。高台で合流できると信じて走るのです。
親は子に「てんでんこに走れ」と教える
親であれば子に「てんでんこに走れ」と教えるに決まっています。たとえ自分が死んでも子孫が残るからです。自分を助けようと思って子供が死ぬことのほうが耐えられないはずです。
「津波てんでんこ」こそが伝えなければならない教訓なのに、これを言う人は少ないようです。言うと批判されるのでしょう。
「絆(きずな)」という安いことば
だから「絆(きずな)」とか、なんかよく分からないけど耳ざわりのいい、安いヒューマニズムを口にする人が増えるのです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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