英語の勉強、英会話の上達:英語は学べば学ぶほど話せなくなる

こんにちわ。かぶとたいぞうです。

私は今、イタリアのシチリア島にいます。



ことばを知らなくてもコミュニケーションはとれる

私はイタリア語を学んだことはありません。ところが、イタリア語を知らない私でも、イタリアでコミュニケーションが十分にとれます。ホテルなど英語の通じる場所はもちろんですが、庶民的な場所にある食堂や、郊外の町で、相手がイタリア語しが話せなくてもコミュニケーションはとれます。

シチリア島パレルモの庶民市場にて

イタリア、シチリア島、パレルモの庶民市場にて

スペイン語圏でもそうでした。メキシコ、コロンビア、パナマ、キューバ、プエルトリコ、ドミニカ、エクアドル、ベネズエラ・・・

それらの国で英語を話せる人は稀でした。しかも私はスペイン語を学んだことが1度もありませんでした。それでもコミュニケーションが可能なのです。

いくらでも通じるし、必要なことはすべてできました。レストランでの注文、特定の場所への行き方、ホテルの宿泊、友達もでき、世間話もできました。

むしろ、言葉を学ばなかったからこそ話せたのだと思います。まるで赤ちゃんのように、恥ずかしがらずに、相手の言うことをまねて、少しずつ言葉を覚えていったのです。

語学力よりコミュニケーション能力

大事なのは、伝えようとする心、勇気、それと多少のテクニックです。テクニックというのは、ジェスチャーというかボディランゲージというか、身振り手振りです。人は言葉よりその人の動作を見て、相手が何を言おうとしているのかを類推します。

それとなるべく分かりやすいコミュニケーションを考えるということです。複雑なことを単純化して伝えることが大切です。薬屋に行って腹を押さえて痛い顔をすれば腹痛の薬が出てきます。

こちらに伝えようとする気持ちがあって、相手にも理解しようという気持ちがあって、伝え方を工夫したり、身ぶり手振りが上手ならば必ず相手に伝わります。

大事なのはコミュニケーション能力であり、語学力では無いのです。



日本の英会話教室に行くと英語が話せなくなる

それなのに日本人は英語を学ぼうとして、かえってまったく通じない英語になってしまっています。

英会話スクールはまず入学希望者の英語力を判定して、必ず「まったくダメだ」と言って長期コースを勧めます。商売なので仕方ないのです。「あなたの英語は十分通用します」なんて言ったら、誰も高い金を払って学ぼうとはしません。

だから英会話スクールへは行かない方がいいです。英語を話す一番大事な「勇気」「自信」を削がれてしまいます。

かく言う私も、以前英会話スクールで判定を受けて、ケチョンケチョンに酷評されたことがあります。「まったくネイティブな発音になっていない」と言われましたが、私はネイティブスピーカーになりたいわけではありません。そもそもネイティブでないし。

下手な英語でじゅうぶん。下手だからこそ相手に助けてもらえる

ネイティブでないからこそ外国では「外人」と思われて親切にされるのです。それが武器なのです。ネイティブと同じ話し方になったら可愛くありません。

日本にいる「外人」で日本人同様にペラペラと日本語を話す人がいたとして、その人に親切に道を教えようとしますか。

私は言葉を知らない国々で十分なコミュニケーションをして、今まで長い旅を続けてきました。その自信はゆるぎないものです。コミュニケーション能力は言語能力ではないと断言できます。

中国でも、インドでも、パキスタンでも、言葉を知らないのに十分通用しました。

ことばより笑顔のほうがよほど相手に伝わります。



日本人の英語が米国人に通用しない理由

ところで、日本人はなぜ米国で英語が通じないのでしょうか。それには米国特有のわけがあります。

米国は「人種のるつぼ」と言われています。いろいろな国の人がいます。加えて隣のメキシコから不法移民が入り込んだり、プエルトリコなどから大量の移民が入り込んで独自のコロニーを作ったりしました。米国内でははっきりと人種間のコミュニケーションの隔たりがあります。トラブルもけっこうあります。それぞれ身を守るために、いつも親切というわけにはまいりません。

そんななかで米国人、特に白人系の米国人は、他民族にはあまり興味を示しません。有色人種である日本人にもそれほど大きな関心は示しません。あまり相手にはしていないのです。

だから、日本人がもてはやされる他国と違い、米国では日本人が米国人に道を尋ねても親切には教えてくれない確率が高いのです。米国人もあまり他人とは関わりたくないのです。

時には有色人種である日本人を露骨に嫌い、まったく無視する米国人もいます。日本人だと分かると敵視する米国人もいます。

もちろん米国人の中にも日本人に親切な人もいます。また、国際協調の視点から、私の意見に反対する人もいて当然です。しかし、私の言っていることは真実であり、これらの人間模様は米国に長く住んだことのある人、歴史をよく学んだ人にしか分からないのです。

だからはっきり言って、どんなに英語を学んでも、そういう米国人には英語は通じません。

お互いの気持ちが無ければ、どんなことばだって通じない

こちらに伝えようという気持ちがあっても、相手に理解しようという気持ちが無ければことばは通じないのです。

日本で英語を学んだものが、英語圏以外の国で英語がよく通じたという体験は誰もがしたことがあるはずです。相手が理解しようとしてくれたから通じたのです。

英語教師をしている日本人とニューヨークで知り合い、その人と一緒にチャイナタウン近くを歩いていた時に実際に体験したことです。

屋台のホットドッグ売りの人からホットドックを買おうとして「ハウマッチ」と聞いたら「フォアイアライ」と返されました。私も英語教師もホットドック売りの言葉を理解できませんでした。何回聞いても「ホアイアライ」しか言いません。

その間に別の客にはホットドッグを売っています。別の客もそれほどのことは言っていません。ただホットドッグを指差しているだけでした。

そこで私は他の客の真似をしてホットドッグを指差し「ギブミーホットドッグ」とはっきりいいました。

ホットドッグ売りは「ホアイ、ア、ライ!!」と強く返してきて、 そのままぷいっと別な方を向いてまったく相手にしてくれませんでした。

英語教師もまったく太刀打ちできませんでした。私も腹が立ったので買うのをやめました。

あとでステイ先の米国人に一部始終を話して、ホットドック売りが「ホワイト?オア、ライ?」(白いパンかライ麦パンか)と聞いていた事を知りましたが、ステイ先の米国人も「あまりにも不親切だ」と言っていました。

その米国人もアフリカ系の人で、似たような待遇を何回も受けているのでニュアンスが分かるのです。

つい話が長くなりました。

私が言いたいのは、

  • コミュニケーション能力は語学力とは違うということ
  • 英語を含めて外国語を話すには「勇気」と「自信」が必要なのに、それを削ごうとする英会話スクールなどでどんなに英語を学んでもかえって自信を失い英語が話せなくなること
  • ことばよりボディランゲージが大切なこと
  • 相手に理解しようという気持ちが無ければどんなことばも通じないこと。

相手を選び、自信を持ってコミュニケーションをし、楽しい海外生活をしてください。

皆さんの外国旅行、海外移住生活の参考になればなによりです。

ごきげんよう。

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著者かぶとたいぞう拝。


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