【時間という概念】パタヤでのんびり暮らしたら、老後生活が人の何十倍も何百倍も長くなると思う

かぶとたいぞうです。

時間の長い短いは極めて相対的なものです。アインシュタインもそう言っています。

何かやっている時は、時間はあっという間に過ぎ、何もしていなければ時間はなかなか過ぎません。



例えば

カップラーメンにお湯を入れて3分待つのは長いですが、待っている間に爪でも切ればあっという間です。

爪を切り終わる前にカップラーメンができて困るくらいです。

小学生の頃は暇が多かった

小学生の頃は暇な時間が多くありました。雨が降って野球ができない日などは、何をして遊ぼうかと家の中をうろうろしたり、一人で将棋をしたり、何回も読んだ本をまた読んだり、家族と話をしたり、友達は何をしているだろうかと想像したり、色々なことを考えたり空想したり。

だから小学生の6年間は、その後の中学と高校を足した6年間より長かったのだと思います。



大人になると

私は会社経営をしていましたから、大人になってからの時間はもっと短かったです。

同じ6年間でも、50際から56歳までの6年間は、いったい何をやっていたのか思い出せないぐらいあっという間でした。雑事に終われていたのです。

営業、事務仕事、お客様との付き合い、そんなことに追われて、何かを考えたり空想する時間もありませんでした。

今はどうか

さて今。

私は毎日が暇です。する事が何もありません。小学校の夏休みと同じです。

少し違うのは、夏休みの宿題も自由研究もないことと、小学生の頃と違って使えるお金が少しはあることです。



楽しい時間がとても長い

だから楽しい時間がとても長いのです。パタヤでは時間はなかなか過ぎません。

私はパタヤに今後何年も住むつもりですから、私のパタヤ生活はきっと、とてつもなく長い時間に感じると思います。

老後も仕事を続けている人と比べると、きっと何十倍も何百倍も長生きできると思います。

相対的な時間感覚

もちろん相対的な時間感覚です。

「爪を切り終わる前にカップラーメンが出来上がってしまった」、という感覚にたいして「3分ってけっこう長いなぁ」という感覚です。

感覚的には何十倍も何百倍も違うと思います。



私が望んで得たこと

私の理想どおりの老後です。望んで得た結果です。

ヤシの木を眺めながら、何もせず、ただ息を吸って、吐いて。生きている喜びを感じながら、ゆっくり、のんびり生きます。

ごきげんよう。


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