【人生観】自分なんて死んでもいい。自分の人生なんて、どうでもいい人生だ。 子供の頃は常にそう思っていた

かぶとたいぞうです。

良いことか悪いことかは分かりませんが、私は子供の頃「自分なんて死んでもいい、どうせ自分の人生なんてどうでもいい人生だ」といつも心の中で思っていました。

どうして子供の頃、自分がそう思っていたのか今でも分かりません。きっとそう思えるような体験や境遇、事情があったのでしょう。



自分は劣っている人

自分が愛されるべき人間だとか、特別な人間だ、なんて思ったことは一度もありません。そんなことは言われたこともないです。

むしろ他人より劣る人、恥ずかしい人、卑しい人、へんな人、どうしようもない人だと刷り込まれていたように思います。

だから私は大人になっても人生全般にわたって何事も躊躇せず思いっきりやれたのだと思います。

むしろ気楽だった

守るべきプライドもステータスも名前も評価もありませんでした。

高卒で飲食店に入り、人生に挫折しかかって大学受験でもしてみようかと思ったときも、思いっきりは早かったです。どうせ「どうでもいい人生」なので失敗してもいいのです。

大学を卒業し、せっかく良い会社に就職したのに4年で辞めて自分の会社を作った時も決断は早かったです。



死ぬ気

「死ぬ気で」

人はよくそういう言葉を使いますが、私は死んでもいいと思っていた人間なので既に覚悟はできていました。いつだって死ぬ気です。

自分を守ったり、自分を大事にしたり、健康を気遣ったり、失敗を恐れたり、保証や保険を求めたり、そんなことは一度もしませんでした。寝ないで働きました。食わずに働きました。

その後の人生も勝負勝負

自分の会社を30年間経営し、会社を継ぐ人がいないので黒字解散し、残ったお金をすべて米国株長期投資に回した時も、思いっきりが良かったと思います。当座のお金以外はすべて米国株に投じました。

周りの人は「大丈夫?」と心配しましたが、起業した経験を持つ私にとっては、上場株、特にNY株式市場やナスダックに上場している優良株への投資はノーリスクも同然です。なんのためらいもありませんでした。



パタヤ移住も

パタヤに移住した時も同じです。何年間もコロンビアなどの中南米を往復した私にとって、タイは日本の近所です。その日のうちに日本に帰れるのですから、なんのリスクも感じません。道東の知床から札幌までと、ここパタヤから札幌までは時間距離がほぼ同じです。

その気になればすぐ帰れる場所に住むのに、思いっきりも覚悟も要りません。

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用心深い人

私にとっては簡単なことなのに、心配してなかなか行動を起こせない人が世の中にはたくさんいます。

きっと、子供の頃から大事にされ過ぎて、大人になっても自分が大事で、守ることばかり覚えて、ほんの少しでも何かを失うことは避けるのでしょう。

子供のころ見たヨーロッパのキャンディーのコマーシャルで、こんなフレーズがありました。

「こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私はきっと特別な存在なのだと感じました。 今では私がおじいさん。孫にあげるのはもちろん同じキャンディー。 なぜなら、彼もまた、特別な存在だからです」



うらやましかった

それを見て私はうらやましく思いました。一度でもいいから、自分もそんなふうに感じてみたいと思いました。でも今はそう思いません。

今の世の中は自分を特別な存在だなどと勘違いしている人が多すぎます。大したこともせず自分を大事にしすぎます。

ちょっと疲れたら「自分へのご褒美」だの「癒し」だのと言って自分をいたわるのです。

行動しない人

心配したり迷ったり悩むだけでいっこうに行動しません。金銭的な保証がないと何もしない人たちです。何かあったら誰が責任をとってくれるのかと心配する人たちです。

キャンディーでも食べながら心配するのがお似合いなのです。



私はちがう

私は違います。キャンディーなど食べません。いつでも捨て身です。だから強いのです。

これからも捨て身です。

「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

若いころ海で溺れて死にそうになったことがあります。その時に悟りました。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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