かぶとたいぞうです。
私はいま幸せです。楽しく楽に生きています。運が良いと思います。今日は孫たちが遊びにきてくれて、とても楽しかったです。
贅沢はしません。でも健康で文化的な生活ができています。
なんの不足もない
毎日好きなものを食べて毎日お酒を飲んでいます。孫におもちゃを買ってあげられます。
昔、テレビ番組で、沖縄の老人が毎日夕方4時頃になると「ゆんたく」と称して酒盛りを始めるのを見ました。私もいつかそんな暮らしをしたいと思いました。そしていま、それが実現しています。
なんの不足もありません。頭も良く回るし、体も健康です。仲の良い友人とは適度に会えるし、息子も娘もたまに遊びにきてくれて楽しいし、バイクでソロキャンプにも行けるし、パタヤと札幌の良いとこ取りで楽しく暮らしています。旅行にも行きます。
人生は偶然と奇跡の連続
私はいま幸せですが、人生は偶然と奇跡の連続です。どうなるか誰にも分かりません。
だから適当に生きれば良いとは思いません。だからこそ、若い時は懸命に努力した方が良いと思います。
私の若い頃
私の家が貧乏で高卒で上京し、飲食店で働いた18才の夜。私は井の頭公園の近くで下宿し、毎晩夜遅く勤めから帰ってきて星の見えない夜空を見上げました。
あの時の私は険しい顔をしていました。人前では無理に笑顔を作っていましたが、人生悲観的でした。あの時は自分が将来こんなに幸せになれるとはまったく思いませんでした。
でも、懸命にもがきました。夜遅く帰宅してから勉強をし、お金もないのに自力で大学に行きました。昼間の大学です。
その頃から私の人生は変わってきました
人生の好転
アルバイトばかりで辛かったですが、その頃から私は自信を取り戻しました。「やればできる」と思うようになり、行動が大胆になりました。積極的になりました。
どうにか大学を卒業して、良いところに就職して、札幌市の母子家庭奨学金を全て返済しました。仕事は大変で毎日残業続きでしたが、毎朝4時半に起きて2時間~3時間勉強してから出勤しました。そして中小企業診断士試験に合格して、28歳で自分の会社を作りました。
それから10年間、やりたいことも楽しいことも全て閉め出して寝ないで働きました。
私が本当に頑張ったのは、18歳から38歳までのほんの20年間です。
その20年間、ひたすら努力したお陰で人生が好転したように思います。
その後は楽だった
38歳から58歳までの20年間は少しサボりながら余力で生活できました。
若い時に得た実力とか信用は、その後もしばらくは通用するもので、いきなり落ちたりはしません。
58歳で引退した後は、もう自分は努力せず、お金に働いてもらいました。投資です。
米国株長期投資で配当を得て暮らすようになったのです。
だからいまの私はサボり放題です。それなのに、なに不自由無く暮らせています。
ズルいとは思っていない
別にズルいとも悪いとも思っていません。当然の報いだと思っています。
これからも人生はどうなるか分かりませんが、このまま逃げ切れるような気がします。逃げ切れるどころか、思いもよらぬ幸せなこと、嬉しいことが待ち受けているような気もします。
いまの私は人生楽観的です。
若い時にひたすら努力したからだと思います。
若い時にサボった人は
若い時にひたすらサボって、歳を取ってから慌てている人を見ると、それも当然の報いだと思います。ぜんぜん同情はしません。
だって私が寝ないで働き、寸分の時間を惜しんで勉強していた時に、酒を飲み、うまいものを食って、良い車を乗り回していた連中です。そんな人たちがいまの私と同じくらい幸せなら、誰も若い時にひたすら努力しようなんて思わないでしょう。
もし、若い人がこのブログを読んでいたら、参考にしてください。
ごきげんよう。
【関連性の高い記事】
【かぶとたいぞう有料ノート】
【あわせて読みたい】
同じカテゴリーの最新記事5件
-

今の世界は欺瞞に満ちている。政治もビジネスも人間関係も。そんな時代に自分はどう生きるか。誰を信じるか -

【先祖供養】今日は母の命日。生前の母を忍び、感謝して、おりく膳を作って一緒に食べた -

【認知能力の低下を防ぐ】私の母は93歳で他界するまで意識がはっきりしていた。認知能力を維持する方法 -

戦後80年を語る加藤登紀子さんの至言「人と人の関係があれば国と国の関係なんて、消えてしまうものよ」 -

人は、疲れすぎると掃除も洗濯も料理も育児も何もできない。少しは楽になったらどうか
「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。
記事のカテゴリー/タグ情報