【内観法】自分の内面を見つめて気づいたこと。腹立ちの原因と執着、正義。そして寛大な心への昇華

かぶとたいぞうです。

自分の心の中の話なので、どうでもいいことなのですが、久々に内観法を試みて気づいたことがあったので書きます。



人に腹を立てるとき

私が人に腹を立てるときは、いつも相手のちょっとしたことに対して腹を立てるのですが、でもそのちょっとしたことは引き金にすぎません。今までの不満の蓄積が爆発しているのです。

相手に対する嫌なこと、腹立たしいこと、自分の正義感に反すること、相手に対するそれらの不満が心の底に澱(おり)のようにたまっていて、何かのきっかけがあれば爆発させたいと思っていた結果なのです。

どうしてそんなささいなことに腹を立てたのか、と相手も周りの人も、時には自分自身も思うのですが、ささいなことは引き金にすぎないのです。

だからちょっとしたことで腹を立てるには、それなりのわけがあるのです。

寛大な人

でも。

世の中には寛大な人がいて、執着も正義もすべて水に流すことができます。と言うか、もともと執着しないのでしょう。正義なんてものを振りかざさないのでしょう。相手を許したり、嫌なことを忘れることができる人なのでしょう。

私は寛大な人ではありません。執着します。決して忘れません。自分の正義を貫きたいです。

でも。



寛大な人が好きだ

私自身は寛大な人が好きです。寛大な人と付き合いたいし、寛大な人と酒を飲みたいです。楽だからです。

この際、私も寛大な人になりたいと思いました。そのためには水に流すことです。水に流すとは忘れることです。正義の看板をおろすことです。

今の私にそんなことができるかどうか心配です。でも、もしそれができたら、私は一回り大きくなれると思います。まだまだ成長できると思います。

それに私自身も楽になると思います。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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