かぶとたいぞうです。
最近の私は1人でいることに慣れてしまって、1人が楽です。他の人と長く一緒にいると疲れてしまうのです。
4月にパタヤのいつもの食堂のご主人の実家に1週間泊まりに行きました。その時にそれを強く感じました。別にそのご主人が嫌いなわけではありません。むしろ好きな人です。今の私なら、相手が自分の子供たちでも親友でも長く一緒にいると疲れてしまうような気がします。それだけ1人に慣れたのです。
若い頃はさみしがり屋だった
恥ずかしい話ですが、若い頃の私はさみしがり屋でした。家族5人の貧乏で賑やかな家に育ち、狭い部屋に兄弟と寝ていました。お互いに強く干渉し合う家族でしたから、どんなことでも筒抜けでした。泣いたり笑ったりケンカしたり一緒に喜んだりする家族でした。
高校を卒業して就職のために初めて東京に出た時、はじめの数日は張りきっていましたが、徐々に寂しくなりホームシックにかかってしまいました。
何を見ても、何をしても寂しく、食事もできず、体重がうんと減りました。自分で自分が情けなかったです。
リターンマッチ
それで結局は札幌に帰り、勉強してリターンマッチの意味で東京の大学に行き、大学2年生の時に初めてひとり旅をしました。
行き先はニューヨークでした。金もないのにどうにか工夫して大陸を横断し、帰りにハワイにも寄って、なんだかんだと半年近くも1人で米国を旅しました。
その時も情けないぐらいに寂しかったのですが、ひとり旅の面白さも知りました。
以来、ひとり旅を続けた
以来、自分の弱さを退治するためにひとり旅を続けました。
インド、パキスタン、タイ、マレーシア、シンガポール、韓国、中国、カナダ、メキシコ、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、キューバ、ハイチ/ドミニカ、エジプト、ギリシャ、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、オランダ・・・
もうすっかりひとり旅に慣れてしまって、たまに誰かと一緒に旅をしたら疲れるようになってしまいました。
今でも私は1年のうちの8か月くらいはタイのパタヤに住んでいます。これも長いひとり旅とも言えるし、独り暮らしとも言えます。旅が暮らしになってしまったのかもしれません。
パタヤでひとり、病に伏す時も
パタヤでひとり、病に倒れたとき、松尾芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」をくりかえし、くりかえし口ずさむ自分に気づきました。
もはや私は病の床でも臨終に際しても、ひとりのほうが楽なのです。
こんな私は少しおかしいのかな、何かの精神病なのかなと思ってネットで調べてみましたら、私と同じような人がたくさんいました。
私と同じ人はたくさんいる
私と全く同じで、1人が楽だと言うのです。他の人と長い時間一緒にいると疲れたりストレスになると言うのです。相手がガールフレンドやボーイフレンドでも同じだと言うのです。
そういう人は内向的な人、引きこもりの人に多いのかと言うと、そうとは限りません。むしろ外交的な人、社交的な人、営業職など対人関係が得意な人、社長や管理職、リーダーなどに多いようなのです。
人に気を遣う人ほど1人に慣れると1人のほうが楽だということに気づくのかもしれません。
1人が楽だと言う人は現代人には多いようです。
私は何も特別ではなかったようです。
たまに人と会うのは好きだし楽しい
1人が楽だといっても、人とはまったく会いたくないわけではありません。先日も高校時代の友人と飲んで楽しかったです。2次会まで行きました。たまに会うから楽しいのです。短時間だから楽しいのです。
高校時代の別の友人からも会いたい旨連絡が来て嬉しいです。体の調子が戻ったら日時を決めて街に出て会おうと思います。
こんな会いかたは適度な刺激にもなるし、何かを考えるきっかけにもなります。だから人とは一切会わないなんてことは考えていません。
ただ、
ただ、以前のように腐れ縁やしがらみ、特定の店で常連客同士の日課のような付き合い、毎回のクラス会、何かの会合や定例会、そういったものは気が向いた時だけでいいと思います。
付き合いも大事ですが、それがストレスになるのでは楽しい気持ちにはなれません。自分が楽しくなければ相手も楽しい気持ちにはなれないと思います。
だから今は無理に人に会わず、会いたいときだけ会うようにしようと思っています。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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