かぶとたいぞうです。
「人生楽ありゃ、苦もあるさ」
ご存知、水戸黄門の主題歌です。
「楽あれば苦あり」とは
「楽あれば苦あり」とは、一般的に、「楽しいことの後には苦しいことがあり、苦しいことの後には楽しいことがある」という意味にとらえられています。
つまり、良い時もあれば悪い時もある、人生には浮き沈みがある。だから、楽しい時に慢心せず、苦しい時に希望を捨てないようにしようと言うのです。
そういうとらえ方でも十分人生訓として役立つし、異論を唱えようなどとは思っておりません。
もう1つの意味
ただ、私は上記の意味に付け加えて、もう1つの意味にもとらえております。
それは、「楽は苦労の種であり、苦労は楽の種である」というような意味です。
「禍福は糾える縄の如し」や、「人間万事塞翁が馬」も、そうですが、楽や福そのものに苦や禍が内在しており、逆に、苦や禍そのものに楽や福が備わっているというとらえかたなのです。
もっと簡単に説明しましょう。
簡単に言うと
私は以前、歩くのが嫌いで、ちょっとタバコを買いに行くにも(※若いころは私もタバコを吸っていました)車で行っておりました。そのため足腰が衰え、体重も増え、いつしか高血圧になりました。
楽をしたせいで苦になったのです。
現在私はパタヤで生活をしておりますが、節約を旨としているのでバイクは買いません。ソンテウにもなるべく乗らず、歩いて買い物に行っております。お陰で体重が落ち、血圧も正常値です。体が楽です。
歩くのは苦しいですが、その苦が体を楽にさせてくれたのです。
札幌に帰ってきたら
札幌に帰ってきた時は、バイクで買い物に行きます。札幌には美味しいものがたくさんありますから、いっぱい買ってきます。カニ、ツブ、ラム肉、寿司、いずし。
バイクなので買い物が楽だし、毎日美味しいものをお腹いっぱい食べて幸せです。
今日、体重計に乗ったら、2kgも増えていました。気を付けないと、札幌にいる間にまた太ってしまいます。太ると疲れるし、万病のもとです。
まさに楽あれば苦ありです。少し我慢してご馳走を減らし、なるべく歩くようにします。
楽そのものが苦のもとであり、苦そのものが楽のもと
このように私は、「楽そのものが苦のもとであり、苦そのものが楽のもと」だととらえているのです。
だから、苦も楽だと思って厭(いと)わないようになりました。
階段の登り降りも楽しい
今私はパタヤのアパートの3階に住んでおりますが、毎日2回以上は階段を3階まで往復しております。多い時は3往復します。
これが実に楽しいのです。ただでトレーニングジムに通っている気分です。健康のために辛いことを我慢して行なっているという意識はありません。本当に楽しいのです。
札幌では一軒屋に住んでおりますが、わざと2階に寝泊まりし、毎日なるべく階段を3往復はするようにしています。
苦しいことでも楽に思える
「楽あれば苦あり」を私のようにとらえると、苦しいことが楽になり、逆に贅沢や過度の娯楽がバカバカしく思えるようになるのです。
これもまた一つの人生訓ではないでしょうか。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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