かぶとたいぞうです。
世の中、うつの人が増えています。特に今はコロナ禍で将来が不安なので、余計にうつになりやすいと思います。
コロナ鬱が流行っている?
「コロナ鬱(うつ)」という言葉も耳にするようになりました。
悩みがうつの原因になります。
人はいろいろなことで悩みますが、他人に関する悩みは解決しないので諦めたほうがいいです。
他人のことで悩む
「どうしてあの人はああなのか」
「どうしてあの人はあんなことを言うのか」
「どうしてあの人はあんなことをするのか」
「どうしてあの人はあんな性格なのか」
「どうしてあの人はあんなふうに考えるのか」
「どうしてあの人は自分に対してああいう態度なのか」
「どうしてあの人は・・・」
他人のことを悩んでも解決しない
他人のことはいくら悩んでも決して解決しません。相手を変えることはできないからです。
そもそも「どうしてあの人は」と思うこと自体が、自分のエゴだからです。
相手を自分の気に召すように変えたいと思っているからです。相手はそれに気づいて「絶対に変わるものか」と思っています。
「どうして」の本当の意味
特に女性が「どうして」という言葉を使う時、本当の理由を聞きたいのではなく、「どうして自分に合意してくれないのか」という意味で使っている場合が多いのです。
以下は男女の滑稽な会話例です。
女「今度の土曜日、街にショッピングに出かけようと思っているの。付き合ってくれない?」
男「行きたくない」
女「どうして?」
男「ショッピングは嫌いだから」
女「どうして?」
男「街は混んでいるし待つのが嫌だし」
女「えぇ?どうして?」
男「買うものもないし、ショッピング自体に興味がないから」
女「えぇ?どうして?」
男「どうしても、こうしても、行きたくないんだよ。一人で行けば?」
女「えぇ?どうして?」
男「行ってもすることないし、ただ長い時間待たされるのが嫌なんだよ」
女「えぇ?どうして?」
男「・・・」
「どうして私の喜ぶ答えを言ってくれないの!」
この場合の女の「どうして」は言うまでもなく「どうして私の喜ぶ答えを言ってくれないの」という意味なのです。
だから男が笑顔で「よしショッピングに行こう」と言うまで「どうして?」は続くのです。
人は自分の思い通りにはならない
人は自分の意のままには動きません。いつも自分に合意してくれるとは限りません。
特に今は世の中全体がすさんでいます。経済的にも厳しいので心にも余裕がないのです。優しかった人がだんだん優しさを失っていきます。付き合いの良かった人が急に付き合いが悪くなります。今までは笑って許してくれていた人が笑わなくなります。
不景気になると人間関係もギクシャクする
それどころかちょっとしたことで他人を批判したり攻撃する人が増えてきます。人間関係はどんどんギクシャクしていきます。
そんな時に平穏無事に過ごすには「人は人、自分は自分」と割り切ることです。他人の目に余る言動に接しても「あの人はああいう人なんだ」と諦(あきら)めることです。
相手は変わらない、諦めるしかない
決して「許せない」「言って聞かせよう」「分かってもらおう」とは思わないことです。そんな努力は実らないし人間関係がもっと悪くなるだけです。これは例え親子でも家族でも同じです。
自分には自分の正義がありますが、相手にも相手の正義があるのです。自分にとって許せないことでも相手にとっては普通だし常識なのです。
どっちが正しいわけではなく、単に「合わない」だけなのです。合わない人とは会わないのが一番です。
たまに会った時だけ適当に付き合えばいいのです。
「相手のために」はたいてい自分のエゴです。相手のためになりません。自分が相手を諦(あきら)めればいいだけです。
諦めるは仏教用語、許すと同義語
「諦(あきら)める」は仏教用語です。「明らかに見る」という意味です。
「この人はこういう性格の人なんだ、こういうことをする人なんだ」と明らかに見るのです。
それは「許す」と同じ意味なのです。
「約束を守れない人」をどう許すか
例えば約束を守れない人がいたとしたら、「許せない」ではなく、「この人は約束を守れない人だから」と明らかに見るのです。
だから事前に約束はせず、たまたま偶然その日、その時間にいたら会うのです。いなかったら別の機会にします。
無理に約束の日時場所で会うことを期待しないほうがいいです。その人はそういうことができないというより、そういうことが嫌いなのです。そういう人なのです。そういう人だと明らかに見て許せばいくらでも付き合えます。
自分を変えることはできるが他人を変えることはできない
繰り返しますが人を変えることはできません。たとえ正しいことでも相手は受け入れようとしません。相手が子供ならまだ僅かな可能性がありますが、成人を過ぎた大人なら100%変わらないと思って間違いありません。
あなたが何かを言うたびごとに相手は不快に思い反抗心を募らせます。会わないのが一番いいのです。
しかし人間は自分を変えることはできます。それが唯一ののぞみなのです。解決の糸口はそこにあるのですが、凡人にとって自分を変えることは容易ではありません。だから会わないのが一番です。
多くの人にとって一番楽な相手とは、たまに会って適当なおしゃべりをして、決してうるさい事を言わない人なのです。
対人の悩みは決して解決せず、悩めば悩むほど深みにハマります。解決しようと思えば思うほど関係が悪くなります。
それなのに世の中の悩みの9割は対人の悩みだと言うのです。
つまり、多くの人は悩んでも仕方のないことで悩んでいるという事です。
まぁそれだけ暇なのでしょう。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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