かぶとたいぞうです。
私が小さい時、私の家は貧乏でした。いつも冷や飯に漬物だけでした。
学校帰りに寄った友達の家
ある日の学校帰り、小学校の同級生の家に一緒に行きました。一緒に剣道をやっていた仲間の家です。何かを取りに寄ったと思います。
彼の家は鉄工所でした。夕方、彼の家には誰もいませんでした。みんなまだ働いているのです。
彼は「腹が減った〜」と言い、炊飯器の冷や飯をどんぶりにつぎながら「オマエも食うか」と言いました。私は遠慮して「要らない」と答えました。
友達の家の飯を見て愕然とした
彼は「悪いな、どうしても腹が減って」と言いながら冷蔵庫を開け、何かおかずになるものが無いか物色しました。
「なんにも入ってないや」
彼はそう言ってお湯を沸かし、冷や飯にお湯をかけてから少しまぜ、醤油をほんの少しかけて食べ始めました。
彼の飯に比べたら自分の飯のほうがマシだ
私は心の中でつぶやきました。
「冷や飯の湯漬けに醤油だけかぁ。うちのほうがまだマシだなぁ。漬物があるだけ」
後日試しに彼の真似をして、冷や飯の湯漬けに醤油をかけて食べてみました。ぜんぜん美味しくありませんでした。彼はすごいなと思いました。彼が大人に感じました。
みんな貧乏だった
私が小学生だった頃。昭和40年代。うちの周りはみんな貧乏でした。肉なんかめったに食べる事ができません。寿司を食べるのが夢でした。
当時は今と違って野菜が安かったし、家でも栽培していたので、毎日野菜ばっかり食べさせられました。ご飯のおかずにしょっぱく味付けした野菜の煮物かしょっぱい漬物です。それだけです。
札幌市、東区役所、北光小学校
住んでいたのは札幌市の、今の東区役所付近です。北光小学校です。
貧乏なのは私の家だけではありませんでした。私の校区は貧乏人が多かったのです。
高度成長期。世の中はどんどん成長していきましたが、下町の人たちは生きるのに必死でした。
国鉄アパートに住んでいた人たち
校区には国鉄アパートがあり、国鉄職員の子息も同じ小学校に多く通っていました。商売人の家に比べると国鉄職員の家のほうが安定していましたが、生活レベルはそれほど変わりませんでした。
みんなが貧乏だったので、貧乏はそれほど苦にはなりませんでした。
ズボンにツギ、おにぎりは梅干のみ、お菓子は無し
みんなズボンのひざにツギをし、遠足のおにぎりの中身は梅干しかなく、お菓子なんてめったに食べられなく、誕生日に骨付きの鶏もも肉を食べることだけが楽しみでした。どこの家もそうでした。
当時はそれほど貧富の差がなく、むしろ圧倒的多数が貧乏人だったので連帯感と妙な安心感がありました。
格差社会はその後やってきた
貧富の差が大きくなったのはその後の時代です。
まず農業が衰退し、炭鉱や漁業も衰退し、街の商店が無くなり、中小企業も衰退していきました。
そのいっぽうで大企業のエリート社員や公務員がどんどん社会的地位を高め金持ちになっていきました。
その後世の中は更に更に貧富の差が大きくなり「格差社会」となりました。今では「超格差社会」です。
Go toトラベルに出かける人と生活保護を申請する人
コロナ下でも「Go toトラベル」に出かける余裕のある人がいる一方で、職を失いホームレスになったり、生活保護を申請する人が激増し、自殺する人も増えているのです。今現在、同じ時に、同じこの日本で同時に起こっていることなのです。
上を見たらきりがない、下を見てもきりがない
上を見たらきりがありません。下を見てもきりがありません。
お金持ちのやっていることを羨ましく思えば、自分が惨めに思えて死にたくもなるでしょう。しかし、みんなが貧乏だったころは貧乏はそれほど苦にはならなかったのです。
パタヤのホームレスはもっと貧乏
帰国する前、コロナ下のパタヤはみんな貧乏でした。ホームレスが溢れ、フリーフードに長い行列ができました。それを見て自分はまだマシだと思いました。自分はずいぶん贅沢だと思いました。
でもチラッと見ると、そのパタヤの人たちが食べている無料のお弁当には肉野菜炒めが入っていたのです。私が子供の頃食べていた冷や飯に漬物だけの食事に比べればかなり贅沢です。
良いかどうかは、何と比べるかで変わる
贅沢かどうかは、何と比べるかなのです。やはり、上を見たらきりがないし、下を見てもきりがないのです。
私は偉業や社会貢献に関しては、自分より上の人と比べて「自分はまだまだ大したことができていない」と思うようにしています。
いっぽう、贅沢さに関しては、なるべく今の自分より苦しかった時期の自分や、苦しい人を思い浮かべて「自分は贅沢だ」と思うようにしています。
上を目指し、謙虚で質素に
もっと上を目指し、謙虚で質素に生きたいからです。
私はまだ修行が足りないので「相対的幸福感」に頼るしかありません。「あの時に比べたら今のほうがマシだ」「あの人に比べたら私のほうが贅沢だ」という考え方です。
でもいつかはブッダの説く「絶対的幸福感」(=仏の境地)に達したいものです。できれば生きているうちに。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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