かぶとたいぞうです。
神仏は祈ったり願をかける対象ではなく、日々感謝する対象だと言います。
私の家にも仏壇があり、パタヤビーチで買った可愛らしい仏像が安置されております。
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私は我が家の仏像に願をかけたことはない
私は我が家の仏像に何かをお願いしたことは一度もありません。お供え物をするたびに毎日の健康や何事もないことに感謝して手を合わせるだけです。
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なぜ神仏に願をかけてはならないか。きっとこうだと思います。
神仏に願をかけてはならない理由
人間は自分でひたすら努力して目標を達成したり願いを叶えなければなりません。
神頼みをすると努力をしなくなるし、うまくいかなかった時に神のせいにするからです。
だから人間はひたすら自分で努力しなければならないのです。
自分の努力で成功しても有頂天になってはならない
しかし、努力が実ってことが成就すると、有頂天になったり自慢する人がいます。そうなるとまわりの人に疎まれ、人間関係が悪くなり、せっかくの成功も無駄になります。
だから成功しても得意げにならないよう、神仏に感謝するのです。
成功したのは自分の努力によるものが大きいが、それだけではない
成功はもちろん自分の努力が実ったのです。でもそれだけではありません。自分の努力以外のものもあると思って神仏に感謝するのです。お礼参りです。
実際、本人の努力だけではうまくいかないことはいくらでもあります。
縁、体調、トラブル
他人との出会い(=縁)がなければ成功しないこともあります。
努力しようにも力が十分発揮できないことだってあります。
本番のときに風邪をひいたり怪我をすることだってあります。
予期せぬトラブルに巻き込まれることだってあります。
だから今回成功したのは自分の力だけではないのだと思って神仏に感謝するのです。
感謝する人は謙虚なので人からも好かれる
そういう人は有頂天にならず、常に謙虚なので人からも好かれます。そして多くの人の協力や応援を得て、ますます成功するのです。
神仏に願をかけず、自分でひたすら努力して、うまく行ったら神仏に手を合わせて感謝し謙虚さを保つ。これこそ成功人生の王道なのです。
世の中には逆のことをする人もいる
世に中にはまったく逆の人もいます。
自分で努力することはせず、神仏に願をかけたり占いを頼りに一か八かの出たとこ勝負をし、偶然うまく行ったら有頂天になり、うまく行かないときは神をうらみ占いをののしるのです。
そんな人には成長も発展もありません。友人はみんな逃げて行き常に孤立です。
そんな人も世に中にはいっぱいいるのです。
巨人の星、星一徹の教え
昔見たテレビ漫画「巨人の星」で星飛雄馬の父一徹が飛雄馬に教え諭す場面があります。
詳しい内容は忘れましたが、昔の偉い武士の話です。
合戦の最中怪我をして道に迷い、河原を歩いていて神仏を見つけます。勝利を願って神仏に手を合わせようと思いましたが、神に頼ってはならないと思い直して立ち去るような話でした。
今ならよく分かる
当時小学校低学年だった私には意味がよく分かりませんでしたが、今ならよく分かります。
巨人の星には時々こんなようなためになる話が出てきます。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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