かぶとたいぞうです。
【ちょっといい話】シリーズ第3弾は、私自身の体験談です。
今までの2話はいずれも本人から聞いたお話でした。
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今日のお話は私自身の身に起こった実話です。
18歳の夏、東京
あれは私が18歳の時でした。場所は東京。井の頭線の久我山駅だったと思います。もしかしたら、隣の富士見ヶ丘駅だったかもしれません。7月上旬の朝から暑い日でした。
当時私は、札幌の高校を出て東京で働いていました。
3月末に吉祥寺の外れに住むようになり、3ヶ月とちょっとが過ぎていました。
初めての一人暮らし
それまで親もとから離れたことが一度もなかった私は東京の水に慣れなく、友達もいないので、いつも寂しい想いをしていました。しかし、社会人になったという緊張感があって、毎日毎日必死で生きていました。
毎朝5時か6時に起きて8時くらいまでに新宿の仕事場に行きました。吉祥寺から新宿まではJRで行ったほうが速いのですが、井の頭線で明大前まで行って、京王線に乗り換えて新宿まで行ったほうが電車賃が安かったのでそうしていました。
仕事の後はまた仕事
新宿での仕事が終わると、夕方からは吉祥寺にある飲食店で午後10時まで別な仕事をしていました。2つの仕事をしていたのです。
夜の仕事が終わって家に帰ると午後11時です。それから独学とラジオで英語の勉強とフランス語の勉強をして、午前1時くらいに寝ていました。
落ちてゆく体重
朝食は抜き、お昼は新宿の職場でパンを買って食べました。夜は吉祥寺の飲食店のまかない(従業員用の粗食)で済ませました。お金を節約していたのです。
それでも札幌を出るときに持って来た、わずか10万円ほどのお金がだんだん減っていき、とても不安でした。
高校時代にラグビーをやっていた私は、体重が65キロほどありましたが、東京生活3ヶ月で体重が57キロまで落ちてしまいました。別にダイエットをしていたわけではありません。
梅雨と寝不足
パンとインスタントラーメンくらいしか食べてなかったのです。それと、だんだん暑くなってきて、北海道人が知らない「梅雨」というものを初めて体験して、バテていたのだと思います。毎日大汗をかいていました。寝不足でした。
そんなある日。いつものように井の頭公園駅から井の頭線に乗って、久我山あたりまで来たときに、めまいがしてきました。
その日は遅刻しそうだったのでアパートから井の頭公園まで全速力で走ったのです。それで息が上がっていたのかもしれません。
その上、その日は朝から気温が高く、満員電車の中はモワッとした空気でした。
今と違って当時の電車にはエアコンなんてありません。扇風機の時代です。
寿司詰めの満員電車の中で薄れていく意識
満員電車の寿司詰め状態の中で、だんだん気が遠くなっていきました。目の前が白くなりました。立ってられなくなり、電車の床にしゃがみ込みたい気分でしたが、人と人の間にがっちり挟まれている状態なので身を預けるしかありません。
そのうちに駅に着き、ドアが開いて、降りる人に押されながら私はヨタヨタと駅のホームの床に膝をついてヘタりこんでしまいました。
ちょうど目に前に木のベンチがありました。3人ぐらいが腰掛けられそうな仕切の無い四角い箱型のベンチでした。
私は這いつくばってそこまで行き、床に両膝をついたままベンチに頭と片手だけを載せてどうにか倒れこまずに済みました。
その時背後から若い女性の声が
その時、私の背後から女の人の声が聞こえてきました。
「どうしましたか。大丈夫ですか」
若い女の人のようです。背後から私を抱き起こそうとしているようです。
私は何か言いたかったのですが声が出ません。声が出ないくらい、もうろうとしていたのです。息を吸うのがやっとでした。
「救急車を呼びましょうか」
若い女性はどうにか私を持ち上げて、ベンチに横にしようとしているようです。
私はやっとの思いで声を出しました。
「救急車はいりません。このままの姿勢が楽です」
ベンチの上で横になるより、このまま床に膝をついたままのほうが楽でした。動くと更にめまいがしそうだったのです。
私を介護する若い女性の脚
若い女性は私の背中をさすっています。
「本当に大丈夫ですか」
私は頭を上げることも返事をすることもできず、首を縦に振るのが精一杯でした。
床にその女性の脚が見えました。
小さめの黒い真面目なデザインのパンプスでした。肌色のストッキングを履いていました。
私のすぐに右側後方に立って片手を私の肩にかけ、もう片方の手で私の背中をさすっているのです。
私は申し訳ないと思いました。
彼女は通勤途上で私が倒れ込んでいるのを見て助けたのでしょう。多くの通行人が無視して横を通り過ぎる中で、彼女だけが見ず知らずの私を助けようとしているのです。
でも彼女も早く行かないと会社に遅刻するのです。
彼女は私の後を追って電車から降りてきたのか。あるいは久我山から乗ろうとしたところだったのか。それも分かりません。
遅刻するから電車に乗って行ってください
私は息を吸うのがやっとで、それ以外は何もできませんでした。
そのうち、電車が入ってきました。吉祥寺から来て明大前、渋谷方面に行く電車のようでした。
私は力を振り絞って声を出しました。
「遅刻するから電車に乗って行ってください」
若い女性はためらわずに返してきました。
「この状態で置いていくわけにはいきません。もう少し様子を見ています。もし悪くなるようなら救急車を呼びます。回復してきたなら私は行きます」
私は彼女の脚だけをさっきからずっと見ていました。小さな脚でした。細い足首でした。きっときれいな人に違いありません。でも私には首を上げて彼女の顔を見る気力も体力もありませんでした。ちょっとでも動くと頭が痛くなるような、吐き気がしてきそうな、そんな恐ろしさもありました。
「ちょっとだけ待っていて下さいね」
彼女はそう言うとどこかへ行って2、3分で戻ってきました。
「会社に遅刻すると電話してきました。もう大丈夫です」
携帯電話など無い時代です。駅の公衆電話からかけたのでしょう。
その後電車が2、3回ホームに入ってきました。
少し良くなってきた
私の意識もはっきりしてきました。
でもまだ起き上がることもできないし、体勢を変えることもできません。
彼女はもう30分も私の背中をさすってくれています。
私は彼女に言いました。
「もう会社に行ってください。私はもう大丈夫です。このままもうあと30分もここにいれば回復します」
彼女はなおも心配してくれます。
「本当に大丈夫ですか」
あなたにご迷惑をかけていることのほうが気に病む
私は言いました。
「ご親切にありがとうございました。でもあなたにご迷惑をかけていることのほうが気に病むのです。だから行ってください」
「迷惑なんてことはないですよ。本当に大丈夫なのですか」
「大丈夫です。大丈夫ですから行ってください」
「本当に行ってもいいのですか」
「はい。どうもありがとうございました。もう行ってください」
そう言っても彼女はしばらくそこを動きませんでした。
そのうち眠くなってきた私
そのうちに私は体が楽になり眠くなってきました。
「眠くなってきましたので少し寝ます。大丈夫ですからもう行ってください」
「分かりました。本当に大丈夫なのですね」
「はい。大丈夫です」
「分かりました。では私は行きますよ」
私はそのまま久我山駅のホームで寝てしまいました。
私が眠りに落ちる直前まで彼女の気配がありました。彼女は行きますよとは言ったけど私のそばにしばらくいたようでした。
目が覚めると
目が覚めるとホームのベンチで私は横になって寝ていました。無意識にベンチの上に上がって横になったのでしょう。30分くらい寝たようです。
病院に行くにも当時の私は保険証すら持っていませんでした。そのままアパートに戻って寝ようかなとも思いましたが、少し気分が落ち着いたので私は新宿に向かいました。
遅刻を咎められて夕方まで働き、その日もまた吉祥寺の飲食店で働きました。
夜は勉強をサボってぐっすり眠りました。
彼女の脚しか見ることができなかったが
結局最後まで彼女の脚しか見ることができませんでした。それほど苦しかったのです。ちょっと頭を上げて、ちょっとだけ振り向いて、彼女の顔を見ながらお礼を言いたかったです。
どんな顔の人だったのか知るよしもありませんが、彼女のおかげで世の中には優しい女性がいることを知りました。
私の心の底にあるポジティブな女性像
私の女性に対する概念の根底にポジティブなものがあるのは彼女のお陰なのです。
「女なんて結局自分のことしか考えていない」などと言う人がいたら、「いや、世の中には他人に親切な女の人も確実にいる」と断言できる揺るぎない根拠となっているのです。
だから女性を信じることもできるのです。
ありがとうございました。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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