かぶとたいぞうです。
60歳くらいになってから異国に移って生活をするというのは少し緊張します。体力の面、医療の面、精神的強さの面で本当に大丈夫かなと不安に思うことがあるからです。
私とタイ
私が初めてタイを旅行したのは今から30年近く前でした。でもその後はしばらく行ってません。
またタイに行くようになったのは20年くらい前からで、だんだん頻繁に行くようになりました。行くと言っても以前は旅行でした。1回に付き10日から2週間ぐらいでホテル泊でした。
最初の頃はバンコク、プーケットなどによく行きました。アクセスのいい観光地です。
私とパタヤ
パタヤを初めて訪れたのも20年ぐらい前だったと思います。
そのうちにパタヤによく行くようになりましたが、並行してサムイ島、ピピ島、タオ島、クラビ、アオナン、ライレイなど、ビーチリゾートにも頻繁に行きました。
北の方はチェンマイ、チェンライ、タチレクまで周りました。
年に3回、多い時で4回、それらタイの観光地を旅行しました。
ほとんどの観光地を巡ったあと、徐々にパタヤでのんびり過ごすスタイルの旅行が増えてきました。
パタヤはバンコクから近く、他の観光地に比べると物価が安かったからです。
タイ移住計画、チェンマイかパタヤか
3年くらい前から本格的な移住を計画し、試しに1ヶ月、あるいは2ヶ月くらいアパートを借りて住んでみました。
試した場所はチェンマイとパタヤでした。バンコクはターゲットから外しました。
チェンマイでは旧市街からほんの少し離れたカードスワンゲーオの北側のローカルエリアに住んでみました。
1ヶ月から1ヶ月半の試し生活を2回行いました。
物価が安くて治安がよく、女性のいる店がほとんどないので散財する危険も少なく、移住地候補としてはよい場所でした。
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パタヤでもアパートを借り、1ヶ月単位で何回か試し生活をしてみました。
パタヤは女性のいる店が多く、散財の誘惑が多い街ですが、自分さえしっかりしていればやっていける自信が付きました。
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物価もソイブッカオから外側のローカルエリアだと、それほど高くないことを知りました。
パタヤで暮らすことに決めた
パタヤはなんと言っても海があって散歩もしやすく、友達もできたのでパタヤに住むことに決めました。
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昨年からパタヤで半年、札幌で半年
それで昨年から冬はパタヤに半年、夏は札幌に半年と、半年ずつパタヤと札幌を往復する生活を始めたのです。
それが今年に入ってコロナ騒動となり、今回は3月末に帰国する予定が大幅に延びてしまいました。
結局東京に帰国できたのが7月上旬。東京で15日間の自主隔離を経て、札幌に戻ったのは7月下旬でした。
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9ヶ月間のパタヤ生活で感じたこと
今回のパタヤ生活は昨年10月に札幌を出発して以来、実に9ヶ月近い期間だったのです。
札幌と東京以外で、こんなに長い期間過ごした街は他にありませんでした。
今から思えばあっという間の9ヶ月でしたが、この9ヶ月間まったく不安がなかったかと言うとそうではありませんでした。
コロナ禍のパタヤで不安な日々
それでなくとも新型コロナという未知の病気が発生し、街は封鎖されるし夜間外出禁止令は出されるし。私だけでなくほとんどの人がパニックになりかけていました。
私は比較的英語が話せるのでコミュニケーションや情報収集の面で難はありませんでした。しかしうわさ話や流言飛語が飛び交う中で真実を知るのは大変です。みんなが不安を募らせる中、異国のアパートにひとりで暮らす私が、まったく不安を感じないわけはありません。
禁酒例が出されたあとは、部屋でひとり買いだめたウィスキーを大事に飲みながら、とにかく落ち着くよう自分に言い聞かせました。
パタヤで体調不良の不安
咳が止まらず3日間寝込んだこともありました。
差し歯が一本折れて、パタヤの歯医者に行こうか行くまいか悩んだ挙げ句、行かないで我慢しました。
今年の4月、5月のパタヤは暑くて暑くて、あせもが体中にできて、それが痒くて痛くてたまりませんでした。
通りの屋台はどんどん減り、近くのコンビニも夜9時には閉店するようになりました。真っ暗に静まり返った通りで野良犬が吠えています。
ホームシック
そんな夜、初めて東京で一人暮らしを始めたころにホームシックにかかって毎日寂しくてしょうがなかったことを思い出しました。
寂しがり屋の自分が嫌で一人旅を始めたのです。旅の果てにパタヤのアパートでひとりしょんぼり思いにふける自分を笑い飛ばしたくなりました。
ブログには前向きな内容を書き続けましたが、寂しくて不安な夜を何回も経験しました。
それでもやっぱりパタヤに戻りたい
それでも私はやっぱりまたパタヤに戻りたいです。せっかくリタイアメントビザまでとったのです。バイクの免許もとったのです。パタヤに半年ごとに住むことに決めたのです。
今はいつパタヤに戻れるのか見当も付きません。トラベルバブルは頓挫したのか続報がありません。プーケットモデルもその後どうなったのか、詳しい情報はありません。
今後どうなるのかさっぱり分からないタイですが、タイに戻れる目処がついたら必ずパタヤに戻ります。
この年になって海外で暮らすということ
この歳になってタイで暮らすということは冒険であり緊張感がありますが、私は大丈夫です。
かつてブラジルやドミニカ共和国に移住した人たちを思えば、タイで半年くらい暮らすことは造作もないことです。しかも行ったきりではありません。いつでも日本に帰ってこれるのです。飛行機で片道わずか6、7時間です。
今月予約していたパタヤ行きのエアアジアの飛行機は欠航となりましたが、コロナ禍がなければ今頃はパタヤで暮らしている予定でした。
早く外国人の受け入れが復旧し、タイに移動できるようになりますように。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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