かぶとたいぞうです。
最近はパタヤにいることが普通であり、パタヤにいることが何ら特別だったり、珍しいことであるとは感じなくなりました。
以前は「せっかくパタヤにいるんだから」とか「パタヤにいるうちに」とか思って、パタヤビーチを散歩したり、ジョムティエンビーチに行ってみたり、新しくできた商業施設を見に行ったり、たまには飲みに出たり、タイでしか食べられないものを食べに行ったりしましたが、今はそれもありません。
パタヤにいることが当たり前だから
パタヤにいることが日常であり、自然なのです。普通なのです。
というか、パタヤにいるという意識すらありません。ここは私にとって朝起きてご飯を作って食べて、夜になったら寝る場所なのです。何かのきっかけがなければ、パタヤにいるということすら忘れています。
例えて言えば
例えて言えばこういうことです。
札幌にたまに来る人なら、せっかく札幌に来たのだからと思ってススキノに出たり、羊ヶ丘展望台や藻岩山に行ったり、ジンギスカンを食べに行ったりするかもしれません。しかし札幌に長年住んでいる人なら、道外から友人でも訪ねて来ない限りそういうところへは行かないものです。
札幌で長年生活している人にとっては、札幌は単に自分の家であり自分の住みかなのです。
朝起きてご飯を作って食べて、夜になったら寝る場所なのです。何ら特別な場所ではありません。
それと同じです。
パタヤにいてもめったに飲みに出ない
ここからLKメトロまでは直線距離で500mくらいしかありませんが、5ヶ月前に出たきり一度も出ていません。
パタヤは生活するために移住した場所であり、遊ぶために来た場所ではありません。
理解していただけますでしょうか。
パタヤが私の住みか
ちょっと前までは、札幌が私の住みかでパヤタはたまに来る場所だったのですが、今の私にとっては、パタヤが私の住みかであり、札幌はたまに帰る場所なのです。
今となっては札幌にいるよりも、パタヤのこのアパートにいるほうが自分の住みかという感じがして落ち着きます。
1年のうち8ヶ月間はパタヤに住んでいるので当然と言えば当然です。
札幌にはマイハウスがありますが、マイホームはパタヤなのです。
パタヤにいるということを忘れている
最近では時々ふと我に返り「そうか、自分は今パタヤにいるんだ」と思い直さない限り、自分ではパタヤにいることにすら気づきません。パタヤにいるということを忘れています。
毎日会う人はファラン(欧米人)だったりタイ人なのですが、もうそれが当たり前になってしまったのです。
不思議な気分です。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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