「足ることを知る」とは「現状に満足する」という意味ではない。むしろ、まったく逆の意味

かぶとたいぞうです。

「足ることを知る」は私の座右の銘です。自宅の居間にも自筆の書が掛けてあります。

お盆に娘と孫が家に遊びに来ました。小学4年になる孫が、私の書をまじまじと眺めていました。私は黙って見ていました。

孫か帰ったあと、孫がこの書の意味をどのようにとらえたのだろうかと気になりました。孫はスマホを持っているからネットで調べるかもしれないと思って、私もネットで調べてみました。

ネット検索にはこう出てきました。



ネット検索結果

「足ることを知る」あるいは「足るを知る」とは現状に満足すること、高望みをしないこと、とありました。がっかりです。

「足ることを知る」の意味をまったく知らない人が書いた説明です。

「足ることを知る」者

求道者や修行僧、仙人など、道をとことん極める者、飽く無き探求心を持つ者、精神性、人間性のレベルをとことん上げようと努力する者、多くの人の役に立とうとする者、人の上に立つ者、その他あらゆる高次元の思想性を持つ者こそが「足ることを知る」のです。

水戸黄門光國も、人の役に立とうと方々歩き回ったり、歴史書を編纂したりした人で、決して現状に満足する人ではありませんでした。その光國の座右の銘も「足ることを知る」でした。



「足ることを知る」の意味

足ることを知るとは、簡単に言うと、贅沢をしないという意味です。見栄を張らないという意味です。

不必要にご馳走ばかり食べたり、見栄や世間体のために高価なものを持ちたがったり、立派な家や高い車を持ったり、それを自慢したりしないという意味です。そんなものはくだらないという戒めなのです。

他人の評価を気にしない

他人の評価を気にして役職などの社会的地位や、ステータスを求めないということです。

マズローの欲求5段解説になぞれば、世間体や見栄を満足させたいという3段階目の「社会的欲求」なんか飛び越えて、4段階目の「自我の欲求」、さらに5段階目の「自己実現の欲求」(自分の中にある神性に目覚める)に登りつめなさいという戒めなのです。



多くの日本人はせいぜい3段階目

多くの日本人は未だに3段階目にとどまっているようです。だから、上に登ると言えば、経済的な豊かさしか思いつかないのです。だから、人を収入とか保有資産とかで評価するのです。だから「足ることを知る」の意味が、現状に満足すること、高望みをしないことになっちゃうのです。

未だに多くの日本人の夢は、ベンツやポルシェ、プール付きの別荘、豪華なクルーザーなのです。それらが手に入らないなら高望みをしないほうがいいと言うのでしょう。まったくズレています。

精神世界の序列

物理的、経済的なもので満足できる人はまだまだ下のほうの人なのです。精神世界の序列では。

精神世界を極める人こそが、「足ることを知る」のです。



足ることを知り精神性を高める

ベンツやクルーザーはあの世に持っていけませんが、高度なレベルの精神性はあの世にも持っていけます。想念として未来永劫残るのです。

物理的なものへの執着を捨て、精神性を高めることが大事なのです。

現状に満足すること、高望みをしないこととはまったく逆なのです。

レベルがまったく違うのです。

ごきげんよう。


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