米国同時多発テロから23年。思い出す。あの時私はまだ40歳代前半だった

かぶとたいぞうです。

2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロから昨日で23年が経ちました。

昨日は攻撃されて倒壊したニューヨークのワールドトレードセンタービルの跡地「グラウンド・ゼロ」で追悼式典が開かれたようです。

23年前。いろいろなことを思い出します。

同時多発テロが起きたその時、日本は夜でした。



その日の夜のこと

私は仕事が終わって車で札幌市郊外の自宅に帰る途中でした。その時、車のラジオで第一報を聞いたのです。

何かの番組の途中でニュースに切り替わり、ニューヨークのワールドトレードセンタービルが煙を上げていること、真っ黒い煙が益々大きく上がっていること、火災と思われるが、何かがビルにぶつかってきたとの情報もあることなどをアナウンサーが興奮気味に話していたのを覚えています。私が40歳代の始めの頃でした。

実況

ニュースは途中から現地の実況に切り変わりました。アナウンサーと解説者の組み合わせでした。

ニューヨークのワールドトレードセンタービルが遠くに見える場所からの実況のようでした。

アナウンサーも解説者も興奮気味でした。



ワールドトレードセンタービル

私もワールドトレードセンタービルには、その数年前に仕事で行ったことがあります。実況を聞きながら、あの大きなビルが黒煙を上げて燃えているのを想像しました。

私は途中でコンビニに寄り、飲み物を買いました。そしてまた車に乗り込み、エンジンをかけて車を出そうとしたその時、実況アナウンサーが叫ぶような声をあげました。

叫んだアナウンサー

「あ、今、となりのビルも激しい炎と共に黒煙を上げ始めました」

「炎を上げる直前に、何か大きな鳥のような形の物がビルにぶつかってきたような気がします」

ワールドトレードセンタービルは大きなビルが2つ並んだツインビルなのです。

「●●さん(解説者)、となりのビルが爆発する直前に何か見えましたね」

「飛行機のようなものが突っ込んだように見えました」



ラジオに聞き入った私

私は車を発進することもできず、コンビニの駐車場でしばらくラジオに聞き入りました。

「いったい何があったのだろう」

「大きな鳥のようなもの?飛行機?」

「まさか今まで一度も攻撃されたことの無い米国本土が、何者かの攻撃にあっているのだろうか」

「もしそうなら、いったい世界はどうなってしまうのだろうか」

私はとりあえず車を発進させて家路を急ぎました。

家に着くと

家に着くと、家族がニュースを見ていました。娘が私に言いました。

「パパ、ニューヨークの大きなビルが燃えている。何かあったみたい。大丈夫かな」

娘は心配そうな顔でした。

居間の大きなテレビ画面には真っ赤な炎と黒煙を上げて燃え上がる2つのワールドトレードセンタービルの様子が写し出されていました。

実際の画像は想像していたより迫力がありました。



だんだん分かってきた

しばらくテレビを見ていると、誰かが偶然撮ったビデオ映像が写し出されました。そこにははっきりと旅客機がビルに突っ込んでいる様子が写っていました。

またしばらく見ていると、ビルが突然倒壊しました。背の高いビルが横に倒れるのではなく、ビルの解体工事のように真下に崩れ落ちていくのを見て驚きました。その後に巻き上がった埃のような煙もすごいものでした。

オサマ・ビン・ラディン?

その日は結局朝までテレビに釘付けで、翌日の特別番組で初めてオサマ・ビン・ラディンという人を知りました。アルカイーダという組織も初めて知りました。

それから数年後。中南米に行った帰りにニューヨークに寄り、「グラウンド・ゼロ」を見ました。かつて大きなビルが立っていた広い敷地には何もなく、それがかえって威圧的で恐ろしさすら感じました。

昨日はその場所で式典が開かれたのでしょう。



あの戦争はいったい何だったのだろう

あの後米国はアフガンを攻めて、イラクを攻めましたが、どこにもブッシュ大統領の言う「大量破壊兵器」はありませんでした。

あの戦争はいったい何だったのだろうと、今でも不思議に思います。

ごきげんよう。


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