かぶとたいぞうです。
私たちは知らず知らずのうちに相手に期待をしてしまいます。そして相手が自分の期待を裏切ると「どうして」と腹を立てます。
でもそれって自分のエゴなのかもしれません。相手を自分の都合のいいように仕向けようとしているだけなのかもしれません。
考えてみたら、私も期待されるのは嫌です。重荷に感じます。不自由に感じます。
子供への期待
親は子供に期待します。子供は親の期待を裏切らないよう懸命に努力します。
期待されることに負担を感じずに努力も実って、親の期待どおりになる子供もいます。でも期待されることに負担を感じて反抗したり、つぶれてしまう子供もいます。
子供には大いに期待すべきか
「子供には大いに期待すべきだ、期待すればするほど子供はがんばる」
そう唱える人もいますが、すべての子供に当てはまるとは限りません。
私なんかは親に期待されるのが嫌で、あえて反対方向に行きました。
パートナーへの期待
パートナーも同じだと思います。
夫婦であれ、恋人同士であれ、最初は相手に好かれようと懸命に努力します。相手に合わせます。好きでもないものを相手に合わせて好きだといいます。あるいは好きになろうと努力します。
しかしそれは長くは続きません。しだいに自分の好きなことをします。嫌いなことはしません。我慢していたことも我慢できなくなってきます。
同じ映画を見て一緒に涙を流す
一緒に同じ景色を見て感動したり、同じ映画を見て一緒に涙を流したり、同じものを食べてお互いに美味しいと言いたいですが、そうはいきません。もともと他人なのですから、感覚も性格も好みもまったく違うのです。
それを「どうして」なんて言ってもしかたありません。
「どうして」の意味
そもそも「どうして」という言葉の本来の意味は、理由を求めることなのですが、この場合は「どうして期待に応えてくれないのか」「どうして私の思う通りに行動してくれないのか」という意味なのです。
つまり、相手を自分の意のままに仕向けたいだけなのです。
相手のことを思っているフリをして、自分の都合を押し付けようとしているだけなのです。
相手はそれを察する
相手はそれを察して、ますます期待には応えたくないと思うはずです。あるいは、察した上で申し訳ないが応えられないと思うでしょう。
夫婦喧嘩や親子喧嘩のほとんどはこれが原因ではないでしょうか。
「どうして」「どうして」と踏み込めば踏み込むほど関係は悪化して、最後には刃傷沙汰にもなりかねません。
どうすればいいか
では、どうしたらいいのか。
簡単です。相手になにも期待しなければいいのです。
たとえ相手がパートナーであっても自分の子供であっても、なにも期待しなければいいのです。
「無償の愛」とは
「無償の愛」とはそういうものなのではないでしょうか。
私はまだそこまで到達できていません。でも、本当に相手を愛しているなら、相手のやりたいことをさせるはずです。むしろ応援したくなるはずです。
どんなことでも許す
相手がどんなことをしても応援し、どんなことをしても許し、どんなことをしても助け、そして、どんな性格でもそれを好ましく感じると思います。
私も早くそうなりたいです。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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