かぶとたいぞうです。
私がテレビをまったく見なくなったのは、大学4年生の時からです。
することが無くて一日中テレビを見た
大学4年生の時、たまたま3日間ぐらい暇なことがありました。就職も無事に決まったしアルバイトも久しぶりに連日の休みを頂いて、することがないので家でぼんやりしていました。
いつも忙しい生活をしていた私にとって、暇だというのはそれはそれで辛いことでした。本当にすることがなかったので朝から部屋でテレビを見ていました。
1日何時間テレビを見たんだろう
朝のワイドショー、料理番組、昼のメロドラマ、途中インスタントラーメンを食べながらスポーツ番組、トークショー、再放送の時代劇、お茶の間情報番組、夕方のニュース、晩御飯を適当に食べながらお笑い番組、トレンディードラマ、歌番組、深夜のニュース。こんなに長時間テレビを見たのは初めてでした。
途中に2食はさみ、気がつくと深夜。
いったい何時間テレビを見たのだろうかと指折り数えたら述べ15時間も見ていました。背中も腰も首も痛くなりました。
次の日も1日15時間テレビを見た
翌日もすることが無く、惰性で同じくらいの時間テレビを見ていました。テレビというものは見ると癖になります。
流石に2日連続で朝から晩までテレビを見たら、もう嫌になってしまい、3日目は友達と会いました。
「テレビばっかり見ていたら白痴になる」
まる2日間、述べ30時間ぐらいテレビを見たことを友達に話したら、彼にこう言われました。
「テレビばっかり見ていたら白痴になるそうだよ」
私は恐ろしくなりました。
テレビを何時間見ても後には何も残らない
本当に白痴になるかどうかは別にしても、たしかにテレビは刹那的な刺激を受けては時が流れるだけ。30時間テレビを見ても後に何も残りません。
テレビとはもともと「時間消費型の娯楽」だのだからそれでいいのかもしれません。しかし私には時間がもったいと思いました。
私はその日からテレビを見るのをやめました。
以来、私はテレビを見なくなった
それ以来、人が見ているテレビを一時的に一緒に見たり、食堂などについているテレビをぼんやり見ることはあっても、自分からテレビをつけて見ることはほとんどありません。
芸能界のこともスポーツ選手のことも何も分かりません。しかしそれで困ったことは一度もありません。
タイでもテレビは見ない
今は1年のうち半分はタイにいます。タイではテレビを見ても意味が分からないので、もちろん見ません。
最近日本に帰ってきて、本当に久しぶりにテレビをつけてみました。どんなことをやっているのかなと思ったのです。
久しぶりに見たら実にくだらない
コロナで何人死んだか。今後コロナはどうなるのかに関するコメンテーターのくだらないトーク。ありきたりのグルメと旅行。スタジオ展開のどうでもいいトーク。クイズにお笑い。お金のかかっていない番組ばかりです。どれも見たいとは思いません。
気合の入った時代劇の大河ドラマとか報道スペシャル番組とかなら見てみようと思ったのですが、そんな番組はどこの局もやっていません。
テレビ局には番組制作の予算がないのか
広告をインターネットに取られて、テレビ局には番組制作の予算がないのでしょう。だからどの局もお金のかからないグルメとお笑い芸人のトークとクイズだけなんですね。
見たくもないテレビ番組を惰性で見るのは嫌です。
酒を持ってテラスに出ました。
テレビなんか見るより夜空を見ながら酒を飲んだほうが楽しい
雲に見え隠れする神秘的な三日月。北には北斗七星。その向こうに北極星。
星を見ながら太古の昔を思い、未来を思う。
私にはテレビなんか見るより月や星を見ながら酒を飲むほうがよっぽど楽しいです。
月や星を見ながら酒を飲むと心が開放される
月や星を見ていると、心が開放されて目先の細かいことが気にならなくなります。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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