【生きかた考えかた】「無心の境地」とは何か。現実的に、なんの役にたつのか

かぶとたいぞうです。

「無心の境地」という言葉があります。

意味はいくつかあり、単に「心がない、なにも考えてない」という意味から「経験や概念にとらわれない」「執着がない」「悟った状態」「真理を得た境地」と色々です。



私の解釈

私は難しく考えずに、「無心とは、何かに集中して、それ以外の雑念を完全に取り払った状態」ととらえています。

単に「心がない」ならあまり重要な意味をなさないし、「悟り」とか「真理」とかと言われても、それ自体の意味が分かりませんし、分かりたいとも思いません。

小学生の頃

私は小学校の低学年の頃は、何事にも集中できませんでした。それで母に習字を習わされ嫌な思いをしました。

夏休みの宿題もせずに毎日遊びに行くので、朝の1時間だけでも集中して勉強するよう仕向けられましたが、外の天気を気にしたり、庭先のチョウチョを目で追ったり、近くの公園で遊んでいるだろう友達のことを思ったりで気もそぞろでした。



「集中力ほど大事なものはない」

ある時、学校の先生に「集中力ほど大事なものはない」「勉強のできる人というのは、頭のいい人ではなく、集中ができる人だ」「スポーツ選手でも、高い成績を出せる人は身体能力が高いより集中力の高い人だ」と聞きました。

以来私は、何事にも集中することを心がけました。そして中学生の頃には、知らないうちに集中できるようになりました。

極端

ただしやり方が少し極端で、ご飯を食べる時はご飯に集中し、音楽を聴く時は音楽に集中するのです。決して音楽を聴きながらご飯を食べることはありません。

私は大学生の頃にテレビを見るのをやめたので、テレビを見ながらご飯を食べることはありませんが、家で映画を見る時も映画に集中し、何かを食べながら見ることはありません。たいていは食事が終わってから映画を見ます。



集中力の発揮

今までで、私の集中力が一番発揮されたのは、コンピュータプログラムを開発する場面でした。発奮忘食、食うことも忘れてプログラム作りに集中できました。

その他、絵画、音楽製作、動画編集など、芸術分野で私の集中力はフルに発揮されるようです。

看板作り

今現在も、パタヤのいつものローカル食堂の新しい看板作りに集中しています。昨日は看板の絵を描いているうちに、気づくとあっという間に5、6時間もたっていました。

ちなみに仕事ではありません。友情の証にプレゼントする看板です。屋号とビールの絵とお店のアッピールポイントを書き入れた店の看板です。

その5、6時間のあいだ、音楽も聴かないし、なにも食べません。入れたコーヒーも飲むのを忘れ、気づいた時には冷たかったです。トイレに立つことすら我慢して描き続けました。



音のない世界、時間のない世界

いつもは気になる隣の部屋の生活音も、裏のホテルのプールで遊ぶ人たちの歓声も、サードロードを通る車の音も、なに一つ聞こえませんでした。無音でした。いや、音はあったのだろうと思いますが、心の中には入ってきませんでした。

夕飯になにを食べようかとも考えませんでした。思い付きもしませんでした。ふと気づくと結構な時刻だったのです。時間が止まったのかもしれません。いや、止まったままの状態が続き、そしてふと気がついた時に一気に5、6時間が経過したような感じです。いつものことなので慌てることもありませんでした。

本当の集中

まさに雑念のない状態、雑音のない状態、邪念のない状態です。素直に、まっすぐに、美を追求しました。雑念がないから心は楽です。楽しいから続くのです。

本当に集中した時は、こんな状態が10時間も20時間もつづきます。なにも食べず、なにも飲まず、寝ないで20時間集中できるのです。

若い頃は40時間くらい集中できましたが、今では20時間ぐらいが限界です。たいていは10時間以内に我に返ります。



「無心の境地」

さて、改めて「無心の境地」について考えます。

単に心がない状態なんて死んだのも同然です。求める必要がありません。悟りとか真理なんていうのも面倒で分かりません。「悟りとは」とか「真理とは」などと語るのは、それこそ「こうあるべきだ」という固定概念であり執着そのものです。「無心の境地」とはほど遠い気がします。

そう考えると、やはり現実的なのは集中です。何かに集中して、それ以外のことが心にない状態を言うのだと思います。そしてそれがいいことだから推奨しているのだと思うのです。

歳をとると

特に歳をとると頭がぼーっとしたり、雑念が増えて考えがまとまらなくなることがあるので、今のうちに意識を集中することを大事にした方がいいと思います。

逆にいうと、集中力さえ養い、維持できれば、老後のパタヤでのひとりぐらしも安泰なような気がします。

多少ボケてきても時折集中すれば生活に必要な判断も、心のケアも自分である程度できるのではないでしょうか。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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