かぶとたいぞうです。
古い水戸黄門を見ていました。昔の東野英治郎さんの水戸黄門です。
劇中、助さん格さんが「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、か」と感心します。
捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
今まで何回も聞いたことばですが、意味はぼんやりとしか理解していませんでした。
なんとなくですが、 川に溺れた時は覚悟してジタバタしない方が浅瀬にたどり着く、というような意味に解釈していました。
でも、何か心に残るものがあり、今朝夢枕でこの言葉が心に浮かびました。
起きてから気になったので出典を調べてみました。
空也上人絵詞伝
「空也上人絵詞伝」に次の歌がありました。
「山川の末に流る橡殻(とちがら)も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
橡殻とは何か。
さらに気になったので調べてみると、トチという樹の実の殻だそうです。
ますます気になったので、他にも古い文献を調べてみると、こんな歌も見つかりました。武士道関係の文献です。
別の歌
「谷川の底に流る橡殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
一気にイメージできました。
身は実なのですね。中身(なかみ)の身なのですね。
川底に落ちたトチの実は、中の重たい身の部分を捨てたからこそ、軽い殻だけ浮かび上がったのです。
これを人に例えて、空也上人は実を身に代えて歌ったのだと思います。
意味
直訳するとこうです。
川に落ちたトチの実は、川底に沈むが、 中身を捨てて殻だけになれば、浅瀬に浮かぶこともある。人も同じで身を捨ててこそ救われることがある。
意訳するとこうです。
自分の身を大事にしすぎず、身を捨てる覚悟ができてこそ救われることがある。
疑問
しかしこれは一体どういうことか。
身を捨てるほどの覚悟で懸命に努力するという意味なのか。
それともジタバタせずに運を天に任せて、 あるいは流れに任せて諦めるという意味なのか。
実を捨てて殻だけになっても、実を結ばないではないか。
私たちの人生なんて、 所詮、殻の ようなものである、と言う荘子的なニヒリズムか。
葉隠(はがくれ)にある「武士道とは死ぬことと見つけたり」のような深い意味か。
私の独断解釈
こうなったらもう独断で解釈するより他にありません。
この言葉の本当の意味を知った上で、私は次のように解釈します。
私たちは自分の身を大事にしすぎて、心配しすぎて何もしなかったり、逆に慌てふためいてジタバタするだけで、なんの解決にもならないことがある。時には覚悟して、どっしり構えて、身を捨てて思いっきりよくことに当たった方がうまくいくことがある。たとえ自分が死んでも目的が達成できたならば、それはそれでいいのではないか。
私にも、そんな覚悟を決めてことにあたり、結果としてうまくいった経験がいくつかあります。
以上。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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