かぶとたいぞうです。
私は今、札幌の自宅の東向きの和室でブログを書いています。
今日のように天気のいい朝は、この部屋の窓辺の椅子に座っていると朝日が暖かいのです。札幌はここ2、3日とても寒かったので、晴れた朝の暖かい日差しはとてもありがたいです。朝日に感謝します。
和室から見える 外の景色
この部屋の窓から見える外の景色は、つい5年前まではとても殺風景なものでした。アスファルトをひいた広い駐車場だったのです。
私自身もう車は売ったし、こんなに広い駐車スペースはいらないと思ったので、5年前に緑の庭園に変えました。
ツルハシでアスファルトを砕き、プルーンの木を2つ植えました。大きな植木鉢をたくさん使って色々な花や植物を植えました。今ではちょっとした雰囲気のある、緑あふれる庭になっています。木や草花が朝日に輝いて、とても綺麗です。
5年前に心の中で私がイメージした通りの庭になっています。
自分が思い描いたイメージ通りになることは 嬉しい
庭でも人生でも、自分が思い描いたイメージ通りになることは、とても嬉しいことです。
夏は札幌で、そしてそれ以外の季節はパタヤでのんびり気ままに暮らすという私の今のライフスタイルは、10年くらい前に私自身が描いたイメージそのものなのです。
私が自分の人生を思い通りにやって来られた大きな要素が2つあります。それは「足ることを知る」と「感謝」です。
昨日私は不意に書を書きたくなって、自分で墨をすり半紙にこの2つの言葉を書いて額縁に入れて居間に飾りました。
「足ることを知る」と「感謝」
「足ることを知る」と「感謝」はそれぞれ別の言葉ですが、私は繋がっているようにも思います。
若い頃の私は「足ることを知る」ことを知らず、何でも次々に欲しがりました。飽くなき願望で、満足するということを知りませんでした。これでもか、これでもかと、がむしゃらに求めました。その時の私は「感謝」するなんていうことを知りませんでした。いや、言葉は知っていましたが感謝したことなどほとんどなかったと思います。
言葉との出会い
自分の老後生活を真剣に考えはじめ、自分のイメージ通りの生活をしたいのであれば、支出を思いっきり減らすしかないと気づいた時に、偶然「足ることを知る」という言葉に出会ったのです。
ただ単にケチになるということではなく精神性の高い生活をするという概念でこの言葉を覚えました。今から思えばとても幸運なことでした。
足ることを知り、お金からも時間からも空間からも束縛されない自由を得ると、どんなことでも可能になるのです。
不思議なことに
不思議なことですが、一生懸命に願ったり求めたりしても手に入れることができなかったものが、足ることを知ったおかげで全て手に入ったのです。
そして私はほぼ同じ時期に「感謝」するということも覚えました。
人は願ったり期待したり求めるとエゴが強くなり感謝するなんていう心は起きません。一方足ることを知り求めたり願ったり期待したりしなくなると、思いがけず何か良いことが起きた時に自然と感謝するようになるのです。
人に対しても
今の私は子供たちや孫たちがたまに札幌の自宅に遊びに来てくれるだけでも心から感謝しています。
他人との付き合いもそうです。相手に何かを期待していると、期待に沿わないと言って不満に思います。ところが、相手に何も期待していないと、どんなことでも受け入れることができるし、思いがけず嬉しいことがあると相手に感謝することができるのです。
人生好転の二大要素
私の人生が思い通りに行ってるのは、「足ることを知る」と「感謝」の2大要素のおかげです。この2つの言葉に出会ったこと、そして私がその言葉の意味を理解できたことに私は感謝しています。
ごきげんよう。
【関連性の高い記事】
【かぶとたいぞう有料ノート】
【あわせて読みたい】
同じカテゴリーの最新記事5件
-

【水戸光圀】我(われ)ただ足ることを知る。私も言ってみたいです。京都 龍安寺で -

【雑学と思考】「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の意味を、私なりの独断で考えてみました -

【生きかた】人生全般、自分でできることはすべてうまくいった。うまくいかなかったのは他人のことだけ -

感謝するとは、「ありがとうございます」と声に出して言うこと。言わなければ感謝したことにはならない -

子供のころ、空き地で野球をしていた私たちにパンやお菓子をくれたおじさんのことを、私は決して忘れない
「カブとタイ」をいつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
著者かぶとたいぞう拝。
記事のカテゴリー/タグ情報