タイ北部チェンマイの様子、カレン族の村、メーテーンのトレッキング・ツアー

こんにちわ。かぶとたいぞうです。

他のブログに掲載した、2013年当時の記事ですが、当時タイ北部のチェンマイ、チェンライ、メーサイ、タチレク(ミャンマー)あたりを初めて旅行した時の記述があったので、こちらに転載します。

少し古い情報ですが、チェンマイの町の様子やトレッキング・ツアーの情報は詳細に書いてあるので、今でも役に立つかもしれません。参考にして下さい。

タイ国際航空の札幌~バンコク直行便が始めて飛んだころなので、その情報もありますが、今ではもっと安くエアアジアが直行便を出してますので、あまり役に立たないかもしれません。

5回に分けて投稿した記事を今回は一回で全て掲載します。少し長くなりますがご勘弁下さい。



タイ北部旅行記1:チェンマイ→チェンライ→メーサイ→タチレク

タイ北部旅行記2:チェンマイの概観



タイ北部旅行記3:チェンマイ周辺の山岳民族

タイ北部旅行記4:チェンマイ郊外でトレッキング体験



タイ北部旅行記5:トレッキングでのハプニング

***以下、2013年投稿の「タイ北部旅行記1」~「タイ北部旅行記5」***

タイ北部旅行記1

2013年4月8日(月)から、4月17日(水)まで、10日間の旅程で、タイ北部を訪問した。
移動した都市は次の通り。



札幌→バンコク→チェンマイ→チェンライ→メーサイ→タチレク(ミャンマー)→チェンマイ→バンコク→札幌

札幌~チェンマイまでは飛行機、チェンマイ~チェンライ~メーサイはバスでの移動だ。

今後同方面に行く予定のある人の為に、また自分自身の備忘録として、ポイントを記録する。

1回で全てを書く自信が無いので、何回かに分けて書くこととする。

タイ国際航空、札幌~バンコク直行便

2012年の秋から、タイ国際航空の札幌~バンコク直行便が就航した。これによって東京を経由しなくともバンコクまで飛べることとなった。札幌~バンコクまでの飛行時間は、行きが7時間、帰りは6時間30分。偏西風の影響か、帰りのほうが速い。乗換えが無いので楽だ。

バンコクが終点の場合は特に問題は無いが、バンコクからさらにタイ国内の別の都市へ飛行機で移動する場合は注意が必要。

2013年4月時点では、札幌~バンコク~別の都市をタイ国際航空のWEBページで予約するのには、コツがいるのだ。

例えば、札幌→バンコク→チェンマイの旅程をWEBページで普通に予約しようとすると、必ず、札幌→東京→バンコク→チェンマイの旅程が表示される。直行便があるにも関わらず、必ず東京経由が表示されるようになっているのだ。

これについて、タイ国際空港に電話で問い合わせたところ、コンピューターシステムの修正が追いつかず、以前の東京経由しかなかった頃のデータが表示されるのだという。当面の対策として、「周遊」を選び、札幌→バンコク、バンコク→チェンマイというように、一つ一つ指定すると選べるようになるという。

タイ国際航空のWEBサイト

ところが、「周遊」で旅程を選ぶと、日付が決まっている人なら問題ないが、私のように料金の安い日を選んで日程を決める人には、少しやりづらい。

と言うのは、普通に「往復」で日程を入れると、前後1週間分の料金表が表示され、どの日が安いか、高いかが判るようになっているのだが、「周遊」では行きと帰りの日付を特定しなければならず、料金の安い日を探すなら、日付を変えて、何回も検索しなければならないのだ。
これらの作業を何回か行なっているうちに、有効なコツを得た。

まず、札幌~バンコクの「往復」で一番安い日を探し、次に「周遊」で別の都市を追加する方法だ。

例えば、札幌~バンコク~チェンマイの一番安い料金を探したいのであれば、まず札幌~バンコクの「往復」で一番安い日程を探す。

例えば、6月3日千歳発、6月10日バンコク発が58,970円で一番安いのであれば、それをメモしておく。

そして、「周遊」で6月3日札幌発バンコク着、同日バンコク発チェンマイ着、6月10日チェンマイ発バンコク着、同日バンコク発札幌着を選べば、最終ページで料金が表示され、たていはこれが一番安い。

もちろん、たまたまバンコク~チェンマイが高い日にぶつかれば、「周遊」の合計は高くなるが、可能性としてはこの方法で安い日を見つけることができる。

実際に私は、この方法で札幌~バンコク往復が58,970円の日に合わせてチェンマイ行きを「周遊」で組み、合計金額は61,210円だった。ちなみに同じ日程を全日空で買えば、東京経由で8万円台後半だった。

タイ国際空港のWEBページがそのうち修正され、「往復」でも普通に札幌~バンコク~他の都市が表示されるようになるだろうと思うが、それまでの間は、この方法を使うのが有効だ。

タイ国際航空は、タイを代表する航空会社で、サービスの質も高い。全日空とアライアンスしているため、ANAのマイルが貯まる。使用する飛行機によるのだろうが、私が乗った飛行機は、往復とも最新の映画が各座席のモニターで見ることができた。食事もまぁまぁで、酒類も無料でサービスされる。

 

タイ国際航空の機内食

その他、タイ国際航空に関連して判った情報を列挙する。
・札幌~バンコクの往復で一番安いのは55,000円。・全日空(ANA)も同じフライトをコードシェアしているが、全日空のWEBページで直行便を予約するのは面倒で、しかも料金がうんと高い。
・札幌→バンコクは月、水、金、日の1週間4便で、しかも1日1便。バンコク到着が15:45なので、同日に乗り継いで行ける地方都市は、プーケット、チェンマイ、クラビ、チェンライ、ハジャイ、コンケーン、ウドンタニ、スラタニ。残念ながら、コサムイ行きは、15:20発が最終の為、同日乗り換えはできない。ただし、バンコクに1泊して次の日の便に乗るという旅程で航空券を買う事はできる。
今回はこのへんにして、次回はチェンマイの町の様子を紹介する。



タイ北部旅行記2

チェンマイの概観

チェンマイは、堀に囲まれた旧市街と、その周辺の街から成り立っている。

チェンマイ国際空港は旧市街の南西にあり、バンコクのスワンナプーム国際空港からチェンマイ国際空港までは約1時間、チェンマイ国際空港から旧市街まではタクシーで15分(交通事情による)くらいである。

チェンマイのマップ

旧市街の北東郊外には、アーケード・バスセンターがある。旧市街を挟んで、飛行場とちょうど対角線上に位置する格好だ。このバスセンターは長距離バス専用のターミナルで、バンコクからバスでここまで移動するバックパッカーも多い。後述する(予定の)チェンライへは、ここからバスで行った。



チェンマイの繁華街

旧市街の堀の右辺中央には、ターペイ門という正門(?)があり、ここが観光の中心となっている。ターペイ門から東側がいわゆる繁華街で、夜になると活気付く。チェンマイを訪れた者が、必ず一度は徘徊するエリアである。

チェンマイの繁華街のマップ

ターペイ門から堀沿いに、徒歩で5分ほど南下すると、ひときわ賑やかなバービア(女性がいるバー)群に出る。ロイクロ通りだ。ロイクロ通りをまっすぐ東に進むと、10分くらいでナイトマーケットに出る。

ロイクロ通りには、マッサージ店とバービアが豊富に点在するが、途中にもう一箇所、バービアの密集地がある。奥にムエタイのリングがあるバービア横丁だ。夜1人で歩いていると、熱心な呼び込みに会うが、しつこくはない。

チェンマイの女性

ナイトマーケット

ナイトマーケットは夜になると露店の出る、賑やかなマーケットだ。主に服、アクセサリー、ブランドのコピー品、飲食物などの屋台だ。

チェンマイの繁華街と観光客

私は、1枚300バーツ(約1000円)のTシャツを値切って200バーツで買ったが、次の日にワローロット市場(地図で上のほう)で見たら、同じTシャツが80バーツで売っていた(笑)。
水掛祭りの真っ最中だったので、水をかけられた時の着替えにと思って慌てて買ったのだが、時間のある人はワローロット市場まで行って買った方がいい。ターペイ門からトゥクトゥクで60-80バーツなので、もとは取れる。ナイトマーケットは歩いて楽しいが、売っている物の値段は観光者向けだ。

 

チェンマイのナイトマーケット

ナイトマーケットの奥の方には、大衆食堂や海鮮レストランなどが立ち並ぶ一角がある。私は大衆食堂でタイのラーメンを食べた。

私はラーメンと呼んでいるが、メニューではnoodle in soupだ。値段は40バーツ(140円)。タイの他の町と相場はそれほど変わらない。
タイの麺には色々な種類があるが、私は黄色い麺が好きだ。いつも「イエロー」と言って指定する。

チェンマイの屋台のラーメン

チェンマイの繁華街では、大衆食堂で食事をして、バービアで女性とお話をしながら、ビールを飲んだりビリヤードをしながら、ナイトライフを楽しむことができる。



チェンマイのナイトライフ

バービアでの料金も、ビールの小瓶で80バーツ(270円)程度。バンコクやパタヤとそれ程変わらない。

女性に飲み物を飲ませば、1杯150バーツくらい取られるが、あまりしつこくなく、断っても大丈夫。飲ませたとしても150バーツなら500円程度なので、それ程高いとは思わない。

今回私は、山岳民族の村への訪問や、トレッキング・ツアーへの参加など、健康的な予定を組んでいたため、あまり夜遊びはしなかった。

ちなみに、今回私は行かなかったが、地図上の「サユリ」は殿方専用のマッサージパーラーで、有名店らしい。

「スポットライト」と「Foxy Lady」は、いわゆるゴーゴーバー。女性が台の上で鉄棒に捕まって踊る。タイではa gogoと言い、タイの女性はそのまま「アゴゴ」と呼んでいる。

これらは行く前に「チェンマイ」でネット検索したら出てきたので、場所を調べてマイマップにマークしておいた。どなたかのお役に立てば幸いである。

今回はこのへんにして、次回は山岳民族とトレッキング・ツアーの様子をお届けする。

タイ北部旅行記3



チェンマイ周辺の山岳民族

タイのチェンマイ周辺の山岳地帯には、カレン族、モン族、ラフ族、アカ族などの少数民族が住んでいる。

彼らの居住区は国境を超え、ミャンマーやラオスにまたがる。と言うか、彼らはずっと前からこの地に住んでおり、後で国境ができたのである。

今回は、山岳少数民族の中で、特にカレン族の村を訪ねた。
カレン族の村といっても、特定の場所にあるわけではない。小さな村がタイ北部、ミャンマー、ラオスあたりに点在しているのである。その中で今回私が訪ねたのは、チェンマイから南西に車で1時間ほどの距離にある、メーワン郊外のカレン族の村である。チェンマイから近く、行きやすいので観光地となっている。

カレン族の村の位置(マップ)

カレン族とは総称で、細かくは次の各種族からなる。
●白カレン
スゴー族(Sgaw)
ポー族(Pwo)
モブワ族(Mobwa)
パク・モネブワ系(Paku、Monebwa)
●赤カレン
カレンニー族(Karenni、カヤー:Kayah)
ブエ・カヨー系(Bwe、Kayaw)
ゲコ・ゲバ系(Gekho、Geba)
首長族(カヤン:Kayan、パダウン:Padaung)

首長族の女性(写真)

●黒カレン
パーオー族(Pa-O)
●他のカレン系
インタレー族(Yintale)
インバオ族(Yinbaw)
ラタ族(Latha)

この中で、赤カレンの首長続は、女性が首を長くするために首リングをするので特に有名であるが、カレン族とは系統が異なるとする説もあり、実態は未解明である。

今回私が訪問したカレン族は、首長族ではない。
カレン族はもともと、男性は狩猟、女性は農耕を行って生計を立ててきた。

民族信仰の精霊信仰(アニミズム・先祖)に加え、キリスト教(30%程度)や仏教を信仰する人も多い。

未婚の女性は白いワンピースの民族衣装を着る事となっており、既婚女性は何色の服装でも良い。1度結婚して離婚した女性は、再度、白の衣装を着ることができないしきたりになっている。ただし、現在では未婚者も既婚者も普通の洋服を着て生活をしており、民族衣装は何かの伝統儀式の時しか着ないと思われる。

彼らの住む住居は、屋根は大きめの枯葉で作った茅葺(かやぶき)で、土の上に高床を組んでいる。

<子供をあやす、カレン族の母親。奥は、高床式のカレン族の住居>

カレン族の親子(写真)

カレン族の歴史と苦労

カレン族は、この地方の先住民族である。後から入ってきた民族がタイ、ミャンマー、ラオスなどの国家を作った。どこの国でもそうだが、先住民族と後で入ってきた民族とは多少なりとも対立する。北海道にも、先住民であるアイヌの人たちと我々和人との対立の歴史がある。
現在でもミャンマーでは、カレン民族解放軍とカレンニー軍がミャンマーを相手に武力闘争を行っている。

人はだれでも平和を好み、闘争は好まない。しかし、カレン族は抵抗しないと抹殺される。

Wikipedia英語版によると、2000年代になってミャンマー国軍がカレン族居住区に拠点を作り常駐し、カレン族への極めて激しい民族浄化(殺人、強制労働、食糧・物資の略奪や強姦など)活動を行っており、衛星写真からも河川に近い小さな農村の消滅が確認されている。戦乱を避けてタイへ脱出したミャンマー難民のうちカレン族は10万人規模であるという。

ガンジーは非暴力主義で独立を手に入れたことで有名だが、それはガンジーが頭が良くて、国際世論にアッピールする能力があったからだと私は思っている。

世の中には無抵抗な先住民族が抹殺された歴史のほうが多い。

私が実際に訪問した国の中で、現地で聞いた最も悲惨な歴史は、ドミニカ共和国での先住民抹殺の歴史だ。コロンブスが発見し、スペインの植民地となったこの島では、無抵抗な先住民(ネイティブ・アメリカン、むかしの言い方ではインディアン)を金鉱山で酷使し、その後は次々に殺し、最後の1人を処刑して、島(現在はハイチとドミニカ共和国に分離)の先住民を根絶やしにした歴史がある。今ではドミニカ及びハイチには先住民の血を引くものが1人もいないのである。

カレン族の苦労は、我々の想像を超えるものがあると思われるが、この村に住むカレン族は、難を逃れ比較的平和に暮らしているようだ。

カレン族の男性の仕事

男性は今でも狩猟を行うが、狩りができない時期は、観光客相手の、川でのイカダ下りで船頭のアルバイトを行ったりしている。

<イカダ下りの船頭をするカレン族の若い男性。髪の毛は今風に染めたのだろうと思う。>

カレン族の若者

カレン族の若者

 

カレン族の女性の仕事

女性は、やはり観光客相手に、アクセワリーや民族衣装などをお土産品として売っている。

<民族衣装を紹介しれくれたカレン族の少女>

カレン族の娘

<カレン族の村付近で売っていたアクセサリー類>

カレン族の村に近いところには、象に乗れるところもあり、前述のイカダ下り、象乗り、カレン族の村訪問などがセットになって観光スポットを作っている。

カレン族の象

<カレン族の村に近い象乗り場>

カレン族の村の象

カレン族の村のレポートはこのへんにし、引き続き、チェンマイ周辺でのトレッキング体験を書こうと思ったが、少し長くなったので次回にする。

タイ北部旅行記4

トレッキング体験

2013年4月12日。泊まっていたチェンマイ市内のホテルの中庭レストランで、軽く朝食をとりながらトレッキングツアーのピックアップ・バスを待った。

この日は朝から晴天。午前8時には既に30度を超えていた。何もしなくても汗が出るが、チェンマイに来て既に5日ほど経ったので、体は慣れてきていた。

この時期のタイは乾季の最後であり、チェンマイのような内陸性気候の土地は相当な高温になる。日中は40度近くになってもおかしくない。
暑くて死んでしまう人がいるので、通りがかる人に水をかけてあげる。これが水掛け祭りの原点だ。

しかし、かつて5月のインド内陸部を体験した私には40度はたいしたことはない。インドでは50度を超えた。

トレッキングツアーは前日慌てて予約した。チェンマイは水掛け祭の最中だった。街中、どこへいっても水を掛けられるだけだった。それでトレッキングツアーに行くことにしたのだ。

予約したツアーは、「Only walking」(歩くだけ)という名前の、本当に歩くだけのツアーである。象乗りもイカダ下りも、山岳民族の村訪問もない。4-5時間歩くだけのツアーである。体重を落とそうと思っていた私には好都合なツアーだった。

場所は、チェンマイから北へ車で2時間くらいのメーテーンというところだ。

チェンマイ郊外のトレッキング地図

8:00から8:30にホテルまで迎えに来ると約束したピッキングバスは、予想通り8:30に来た。ワゴン車のような大きさのバスに乗り込むと、先客が既に7人。

私は気後れしないように、大きな声で「Good morning!」と言ってバスに乗り込んだ。先客も笑顔で「Good morning!!」と答えてくれた。私が最後の乗客だったようで、バスはそのまま北へ向かった。

2時間ほどのドライブの間に、参加者をだいたい把握した。私を入れて8人の内訳は、ポーランドの若い男女2組、4人、アメリカから初老の女性1人、アルゼンチンから来た若い女性2人、そして日本から私1人である。

他の参加者と話をしているうちに、バスは山の中に入っていった。そして、ジャングルの入り口のような場所に私たち8人は下ろされた。

トレッキングツアー開始

<トレッキングツアー開始地点付近>

チェンマイ郊外のトレッキングで山奥へ

普通、この手のツアーのインストラクターやバスの運転手は、冗談を言ったり、楽しい話をして参加者を喜ばせるのであるが、このツアーは必要最低限の説明しかしない。バスの中でもほとんど説明が無かった。
歩き始める時も多くの説明は無く、ただ付いて来るようにということだった。遊びツアーではなく、本格的な山歩きといったところか。

私たち8人はインストラクターの後ろを、遅れをとらないようにと、黙々とついていった。

歩き始めた時、時刻は既に10:30を過ぎており、気温は35度くらいあったと思われる。

ジャングルのような道は、アップダウンを繰り返した。冬の間、太りに太った私の体には結構きつかったが、どうにかついていった。日の照った場所は暑くて苦しかったが、木陰に入ると風が出て、涼しく感じた。

<アップダウンを繰り返す山道>

山歩きの様子

歩き始めて2時間。時刻は12:30過ぎ。すでに体は汗だくになっていた。

ジャングルの真ん中の少し開けた場所で小休止。ここまで、他の参加者に遅れないよう、ひたすら歩いたので、写真を撮る暇も無かったから、ここぞと1枚。

<ジャングルの中の少し開けた場所で小休止。自然のバナナが生えていた。>

ジャングル

水を飲みたかったが、3日ほど前から腹の調子が悪く、万が一途中で腹が痛くなったら困るので我慢した。

トレッキングの小休止と再開

小休止は5分ほどで、我々8人はすぐにトレッキングを再開した。

ポーランドの4人は若いので元気いっぱい。4人でおしゃべりをしながら歩いている。

アメリカの初老の女性はインストラクターにぴったりくっついて歩いている。
私は、このあたりから、アルゼンチンから来た若い2人組みと一緒に歩いた。

藪の中からヘビ

歩き始めてまもなく、インストラクターが、藪の中でヘビを発見した。インストラクターは躊躇無くヘビを棒で叩き始めた。そしてぐったりとしたヘビを捕獲した。持って帰るという。食べるのだろうか?他の国では有り得ない光景だった。

インストラクターはヘビをズタ袋へ入れて、先を急いだ。私たち8人はインストラクターの後を追った。

さっきの小休止地点のかなり前から、ずっと下りだったので、そのうち登りになるだろうとは予想していたが、けっこうキツイ登りが続いた。

しかも、ジャングルは次第に開けてきて、直射日光を浴びながらの登りになった。急勾配の坂では、一歩進むたびに汗がどっと噴出し、歩みが遅くなった。私は日本にいる時、よくサウナに行くが、この時の体感温度はサウナの中と同じくらいだった。

私のすぐ後ろをアルゼンチンの若い女性が歩いた。アルゼンチンの女性は2人組だが、もう一人は先に進んでいた。女性はしきりに「カロール、カロール」と言った。暑いという意味だ。私もつられて「カロール」と言って、お互い顔を見合わせて笑った。しばらく2人は、他の人たちに遅れをとってゆっくりついていった。

登りは続いたが、木陰に入ったら涼しく感じた。そこで私は、今度は「フリオ(涼しい)」と言った。すると2メートルくらい遅れてついて来る彼女は、「ノーフリオ、カロール(涼しくない、暑い)」と返事した。すかさず私が「フリオ、アキ(ここは涼しいよ)」と言うと、木陰に入った彼女も「フリオ、アキ!」と返事した。

オウム返しっていいなぁと思った。言葉はオウム返しで覚え、心はオウム返しで通じる。赤ちゃんがそうだ。彼女と私の間に心の交流が生まれたように感じた。

登り坂は次第にゆるくなり、そのうちに平坦な道になった。前の方の人たちは遅れた私たちを待っていたようで、ようやく皆に追いついた。

安堵したら、急に腹の調子が悪くなった。涼しくなって少し腹が冷えたか。

腹が痛いのを我慢してしばらく歩いたが、どうも我慢できそうに無い。インストラクターを呼び止めて、トイレのあるところまで、あと何分くらいかかるか尋ねたら、この調子なら、あと30分はかかると言う。30分は我慢できない。

山中で野糞か!?

仕方が無いので、インストラクターに「トイレに行く必要がある」と言った。インストラクターは「トイレはもっと先だ」という。

私は「腹が痛いので、ここにトイレを作る」と言った。私の言いたいことを理解したような顔をしたインストラクターに、「私はここで用を足したいので、あなたは皆を連れて先に行ってくれ。私は後を追う」と言った。インストラクターは合点がいった顔で「オッケー」と答え、「レッツゴー」と言って皆を先導した。さっきまで私と一緒に遅れて歩いていたアルゼンチンの女性は心配そうな顔で私を見ていた。

さて、この後私は、ワイルドに野糞をしたのか、しないのか、さてお話は、いかなることにあいなりまするやら。

話が長くなりましたので、続きは次回に勤めましょう。

タイ北部旅行記5

前回までのあらまし

タイのチェンマイ北部の山中を歩くトレッキングツアーに参加した。

トレッキングを始めて2時間半。一緒に参加した、アルゼンチンの女性とも仲良くなり、励ましあいながら歩いたが、私は途中で腹が痛くなった。3日くらい前から腹の調子が悪かったのだ。

しばらくは我慢して歩いたが、もう我慢できない。インストラクターを呼び止めて、トイレのあるところまで、あと何分くらいかかるか尋ねたら、あと30分はかかると言う。30分は我慢できない。

山中で野糞か!?

仕方が無いので、腹を押さえながら、インストラクターに「腹が痛いので、ここにトイレを作る」と言った。私の言いたいことを理解したような顔をしたインストラクターは「オッケー」と答え、「レッツゴー」と言って皆を先導した。さっきまで私と一緒に遅れて歩いていたアルゼンチンの女性は心配そうな顔で私を見ていた。
みんなが歩き出し、全員の姿が山陰に隠れたや否や、私はターゲットとなる場所を探った。場所を特定したら、ターゲットの地面を、足でよく踏みならした。

子供の頃、母親から学んだことだ。思えば幼い頃、家族でよく山菜採りに行った。その時に教えてもらった行動だった。よく踏みならさないと、しゃがんだとき、硬い植物の茎が尻に刺さる事があるそうだ。

地面を踏みならしながら、リュックををおろし、スボンを下げ、尻を出し、しゃがんだ。ここまで5秒もかからなかったろう。それほど切迫していたのだ。




目的を達すると、背中にものすごい量の汗が流れるのを感じた。そして落ち着いた。さわやかな風が吹き、幸福感が満ち溢れた。この時私は、自然と一体になった。

自然と一体になった瞬間

リュックの中にはティッシュペーパーが大量に入っている。こんなこともあろうと思ったからだ。

用が終わると、私は直ちにみんなの後を追った。かなり先まで進んでいるかもしれない。他の人に迷惑をかけたくないので急いだ。

ところが、歩き始めて、ほんの10メートルも先に進んだ山陰に、彼らはいたのだ。ドキッとした。

アルゼンチン女性と目と目が合った。私は照れ隠しに「Did you watch me?」(見た?)と聞いた。彼女は大きな声で「No!」と否定した。

インストラクターは、私がはぐれないようにと思って、すぐ近くで待機したのだろう。でも私のデリカシーから言うと、せめてもう少し先に進んでいて欲しかった。しかし、山中ではデリカシーなど言っていられないのかもしれない。

みんなに追いついた後、さらに登り坂を30分ほど歩いた。他の人は私の腹は大丈夫かと、口々に励ましてくれたが、今や、腹は大丈夫。むしろ体力が限界に近い。

最後の長い坂で体力を使い果たし、開けた丘に出たとき、私の体は悲鳴を上げていた。この時の疲れは、例えて言うならば、札幌の藻岩山を2往復したくらいの疲労度だった。実際はそこまでの距離は歩いていないが、気温40度近い中を歩いているので疲労度は高い


最後の急な坂道を登りきったところに開けた、なだらかな丘

なだらかな丘は日が照っており、ものすごく暑かった。中腰になって休むと、汗が一気に噴出した。もう少し先に小屋があって、そこで休むようだ。私は最後の力を振り絞って、小屋に向かった。

小屋に到着したら、先に着いていた他の参加者が私を心配して声をかけてくれたが、私は力なく手を振るのが精一杯だった。

外の水の出るとところに行って、汗でビショビショになったTシャツを、どうにか脱いで、前のめりになり、頭から水をかぶった。顔を洗った。Tシャツを絞ると、相当な水が出た。小屋では昼食の用意をしていた。

昼食時の国際関係

昼食は米飯にオカズが2,3種の質素なものだった。他の参加者は元気に食べていたが、私はしばらくは食べることができなかった。

その代わりに、ペットボトル入りのお茶と、紙パック入りのマンゴージュース、ホテルの冷蔵庫から持ってきた水500mlを一気に飲んだ。それらは、リュックには入れてきたが、今まで飲むのを我慢していたものだ。合計1リットルはあったと思う。よくこれだけの水分を一気に飲めるものだと、我ながら感心した。体が水分を欲していたのだ


約1リットルの水分を補給して、私の体はようやく落ち着いてきた。少しだけ食事もとることができた。気分も落ち着いた私は、昼食時の国際関係を観察、分析していた。

ポーランドから来た4人組は若くて元気なこともあって、よくしゃべる。私にも愛想を振り向ける。ヨーロッパ人は歴史的に国際関係の微妙な中をたくましく生きてきた。特にポーランド人はそうだ。国境線が何回も変わっている地域だ。しなやかに、したたかに外交する能力を持っている。今まで何回もヨーロッパ人と同行したが、社交的な人が多い。この4人もそうだった。

彼らは、米国女性にも、アルゼンチン女性にも、私にも、均等に声をかけていた。

米国の年配女性は、年齢を重ねているだけあって、上手に外交している。しかし、アルゼンチンの2人組みとは1度も声を交わしていない。バスの中からそうだった。そのぶん、米国女性はポーランドの4人、私、インストラクターに愛想をふりまいた。これもよく見かける光景だった。実は米国人は中南米の国々から嫌われているのだ。この米国女性もそれを知ってアルゼンチン女性を避けているようだった。

アルゼンチンの女性2人は、ほとんど2人だけで、スペイン語で話していた。最初、この2人は英語を話せないのかと思ったが、さっき森の中で「Did you watch me?」と質問したら、即座に「No」と返した。実は英語は堪能なのだ。よく観察すると、時折英語でインストラクターとも会話している。アルゼンチン人はプライドが高く、英語は使いたがらない。これはフランス人にも共通する。英語が判らないのではなく、使いたくないのだ。英米人が、英語を国際標準語のように言うのを苦々しく思っている。そして、さらに中南米のほとんどの国の人は、米国人を激しく憎んでいる。米国がそれらの国にしてきた歴史を少しでも勉強すれば理解できることである。この2人のアルゼンチン人は米国人に心を開かず、あえてスペイン語で話し、壁を作っているのだ。

話しかけられると、ポーランド人とも、私とも話す、しかし、自ら発言することはない。米国人と話すほんのちょっとの機会も持ちたくないという態度だった。

そして私である。私はヨーロッパ人と仲良くなれる。今まで色々な国で出会って一緒に旅をした。今回もポーランドの4人とは、いちばん多く話しをした。

アルゼンチンの2人とは片言のスペイン語で心が少し通じた。2人は日本人をどう見ているのか判らない。米国人の仲間だと思っているのかもしれない。しかし、私は中南米に滞在した経験が多く、心は中南米に向いている。スペイン語で話しかけたのも好感を持たれたようだ。2人のアルゼンチン女性が、一番多く話した相手は私だった。

私は、米国の年配女性とはそれ程話さなかった。米国人は日本人を安心して見ている。仲間だと思っているのか、属国民だと思っているのか、人それぞれだと思うが、警戒はしていない。それほど会話をしなくとも心は通じている。態度で判るのである。

トレッキングツアー後半

トレッキングツアーは昼食の後も2時間ほど続いたが、内容は楽なものだった。昼食前にうんと辛い工程をこなし、昼食後は楽しく過ごすという寸法か。

なだらかな田舎道を30分くらい歩いた。途中、大きな木があって、ハシゴがかかっていた。地元のハニーハンターが木の上の蜂の巣から蜂蜜を採るそうだ。

<蜂の巣がある高い木にハシゴ>

蜂の巣がある高い木にハシゴ

その後さらに30分ほど坂を下ると、滝が作る自然のプールに出た。我々は水着になり、ここで充分に泳ぎ、体を冷やした。

滝つぼが作った自然のプール。水に入っているのは話題のアルゼンチン女性

山の中のプール

30分ほど水遊びを楽しんだ後、我々一行は、降りてきた滝つぼまでの坂道を戻った。そしてさらに30分ほど歩くと、道端に来たときのバスが待っていた。

我々はバスに乗り、帰路についたが、途中の山中で、アルゼンチンの女性2人とインストラクターが降りた。彼女達は1泊2日のツアーだったらしい。これから山岳民族の村にある山小屋まで歩くというのだ。1泊のツアーの初日と日帰りツアーをまぜる事はよくあることだ。

アルゼンチン女性2人が降りたら、米国の年配女性は急に饒舌になった。私にもいろいろなジョークを言って上機嫌だ。私とポーランドの4人はチェンマイまでの2時間、米国女性のそれ程面白くも無いジョークに付き合わされた。

ホテルに戻り、シャワーを浴びると、心地良い疲労感と満足感を全身に感じた。

私は、そのままマッサージに行き、その後、軽く夕食をとって早く寝た。この日はよく眠れた。

***以上、2013年投稿の「タイ北部旅行記1」~「タイ北部旅行記5」でした***
長文を読んでいただき、ありがとうございました。
ごきげんよう。

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著者かぶとたいぞう拝。


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