北大クラーク会館の食堂で朝定(朝定食)が15円だった

かぶとたいぞうです。

昨日、焼き鳥屋「串鳥」の昔の話を書いたら、意外と多くのかたに読んで頂けました。

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食べ物の話、昔のなつかしい話などはよく読まれるのだなぁ、と思いました。



柳の下に2匹目のドジョウがいるかどうかは分かりませんが、今日は北海道大学のクラーク会館に昔あった学食のお話をします。



北大は私の遊び場だった

私が生まれ育ったのは札幌市東区北11条です。北大までは歩いて5~6分でしたので、北大は私の格好の遊び場でした。

小学生の夏休みには、よく北大で昆虫採集をしていました。

北大の敷地は広く、クワガタ、コガネムシ、ミドリカナブン、カミキリ虫、シオカラトンボ、トノサマバッタ、など昆虫の宝庫でした。農学部の水田にはカエルもいました。

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私は毎日のように北大で遊んでいたので、どこに行けばどんな昆虫がいるか熟知していました。

北大構内でアブラゼミ300匹採集

北大の構内で1日にアブラゼミの成虫を300匹捕まえたことがあります。

本当に300匹です。

どうやって300匹も捕まえたかというと、セミを探すのではなく、スズメを探すのです。

スズメが飛んでいるのを見つけるとスズメの後を追います。すると、スズメは必ず樹にとまっているアブラゼミを見つけてつつきます。セミは落下し地面に落ちます。黙っているとスズメの餌になってしまいますが、スズメを追い払えばセミを捕獲できるという寸法です。「漁夫の利」です。

スズメを追い払うのが遅いと、セミの足がもげていたり、セミの胴体に穴があいていて瀕死の状態です。スズメを発見したら走らなければなりません。

私が小学5年生の夏に、セミが異常発生しました。とても暑い日でした。

その日私は朝から一日中スズメを追いかけました。そして大汗をかきながらもセミを300匹捕まえたのです。弟に大きなダンボール箱を持たせて、捕まえたセミを次々入れました。

本当はもっと捕まえることができたのですが、区切りがいいので300匹でやめました。



当時のクラーク会館の食堂

一日じゅう虫を追いかけて、お腹が空いたらクラーク会館でご飯を食べました。

当時クラーク会館の2階には大きな食堂がありました。たぶん2階のほとんどが食堂だったのではないかと思います。

小学生の私はそれほどお金を持っていません。しかしクラーク会館の食堂は安いので、たまには自分のお小遣いでごはんを食べることができました。

よく食べたのは「サービス定食」(40円)です。ごはんの大盛りと味噌汁の他、オカズは日によって違いますが、コロッケ、たまご焼き、ウィンナーソーセージのようなものを皿に盛ったものでした。ボリュームがある割りに安いのです。私には大いにご馳走で、時々食べるのが楽しみでした。

きっと多く仕入れたものや余り物を使って安くサービスしていたのだと思います。大学生もよく食べており、当時のクラーク会館の食堂では人気メニューだったのではないかと思います。

他に私が記憶しているメニューは、カレッジ定食(北大はユニバースィティーでありカレッジではないのですが、当時の大学生協の人はその違いが分からなかったのでしょう)、A定食、B定食、カレーライス、ハヤシライス、そば、うどん、なべやきうどんなどもありました。

思い出す15円の「朝定」

私が驚いたのは「朝定」(あさてい)というメニューです。

当時のクラーク会館の食堂にはロウで作った食品サンプルは無く、実物をサンプルとしてガラスケースに入れていました。

「朝定」の実物は、ごはん、味噌汁、小皿に乗ったおしんこ、それだけでした。15円でした。

当時私の家はそれほど裕福ではなかったのですが、それでも「朝定」以上の朝食を食べていました。

いったい誰がこんな貧しい朝食を食べるのだろうか、と思いました。

きっと北大生には苦労人が多いのだろう、とか、地方から出てきてアルバイトをしながら大学に通っている人にとってはこの「朝定」もご馳走なのだろう、とか勝手に想像をしました。

当時の私は北大が難関大学であることは知りませんでした。でも、広いキャンパスにあこがれて、将来は北大に入りたいと念願していました。そして北大に入ったら毎日「サービス定食」を食べようと思っていました。



ある日封鎖されていた北大正門

ある日、北大にいつものように虫を採りに行ったら、正門が封鎖され、他の門にもバリケードがなされ、キャンパスのいたるとことから煙が上がっていました。

そのことを母に告げたら「危ないから絶対に近寄ったら駄目だ」と怒られました。行くなといわれたらよけいに行きたくなり、裏側のほうから入ろうとして中の様子をうかがいました。

ヘルメットかかぶり、タオルで顔を覆った大勢の学生と機動隊が中で衝突していました。火炎瓶を投げる学生が見えました。

学生のシュプレヒコールの掛け声。トラメガで何かを叫んでいる声。機動隊のけたたましいホイッスル。あちこちで「ギャーッ」と叫ぶ声、そして、うめく声。放水車の放水。あたりを覆う焦げた匂い。

構内全体が煙のような塵のような霞のようなものに覆われて、ぼやけて見えました。

すさまじい戦いでした。

その時どういうわけかクラーク会館の「朝定」が目に浮かびました。学生たちは毎日「朝定」を食べながら戦っているんじゃないかなと思いました。

そして小学生の私は「中に入ったら命は無いな」と思いました。

それからしばらくのあいだ北大構内は閉鎖され、中に入ることはできませんでした。

今から思えばあれが60年、70年代の学生運動、安保闘争だったのです。

当時小学生だった私には、北大で何があったのか理解ができませんでした。それでも私は何となく面白そうだと思いました。そして将来は北大に行きたいと思いました。「朝定」もいちど食べてみたいと思いました。

北大は私にとって故郷のような存在

それから10年後。結局私は北大ではなく東京の大学に行くことになりました。しかし私にとって北大は今でも故郷のような存在です。

クラーク会館の中はすっかり変わってしまい、今はもう安い食堂はありません。いちど食べてみたかった「朝定」もありません。

しかし、たまにキャンパス内を散歩して、「このポプラ並木の朽ちた樹の中にカミキリ虫がよくいた」とか、「このかどに腐った樹があって穴の中に小クワガタがいた」などと思い出して1人で懐かしがっています。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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