吉田兼好「一瞬の時を惜しめ」

かぶとたいぞうです。

徒然草の第百八段に「寸陰惜しむ人なし」から始まる文章があります。

時を惜しめ:kabutotai.net

寸陰とは一瞬のことです。光陰矢の如しの陰です。時間を指します。

第百八段の内容を簡単に紹介すると次のようになります。



徒然草第百八段の意訳

世の中には一瞬、一瞬を惜しむ人はいない。愚かなことだ。一瞬一瞬の連続が一生なのだから。

一銭を無駄にする者が金持ちになれないのと同じだ。

もし誰かが来て「あなたは明日には必ず命を失う運命だ」と言われたら、今日一日何をするか。

私達はそんな気持ちで毎日を大切に過ごさなければならない。

(無益なことに使う時間はもったいない)

一日の間には食事や睡眠など、どうしてもしなければならないことがある。その時間を差し引けば、時間はわずかしか残らない。その僅かな時間を、無益なことをやったり、無益なおしゃべりをしたり、無益なことを考えたりして過ごせば、そのまま無益な歳月が流れて愚かな一生を送ることになる。

では、一瞬、一瞬を惜しんで何をするのか。



(時間を惜しんで何をするか)

心の中につまらぬ思慮分別を起こさず(原文は「内に思慮なく」)、世事に関わらないで、のんびりと楽しむか、あるいは修行をするといい。

第百八段の内容は以上です。

私はこれを読んで考えることがありました。

趣味など好きなことに打ち込む時間は無駄か

人間は好きなこと、打ち込めることをやっていると、時間があっという間に流れます。

趣味とかスポーツとか、あるいは好きな人と会っている時間、素晴らしい映画を見ている時間、好きなゲームをやっている時間などです。

それらに興じているとあっという間に時間が経ち、あっという間に歳月が流れます

それは悪いことなのでしょうか。吉田兼好の言う「無益なこと」であり「愚かな人生」なのでしょうか。



吉田兼好の言う「無益なこと」とは

何かに集中していると、あっという間に時間が経ちます。その時間は無益なのでしょうか。

私はそうは思いません。きっと吉田兼好のいう「無益なこと」とか「無益なおしゃべり」とか「無益な考え」というのは、例えば迷信や幽霊や超能力など、事実でないことに基づいた考えや行動、あるいは人に迷惑をかけるとか、無益なトラブルやそれに伴う悩みごと、喧嘩や訴訟などを指しているのだと思います。

自分の命が今日限りだとしたら何をするか

で、もし自分の命が今日限りだとしたら何をするか。いろいろ考えました。

母とか兄弟とか、子供とか孫に会うか。親友とあって話をするか。何か最後にやってみたかったことをするか。お金をうんと使って贅沢なことをするか。ビルの上からお金をばら撒くか。世間があっと驚くことをするか。

感情移入してよくよく考えました。



最後の日に私がしたいこと

その結果、私が人生最後の日にやりたいことが分かりました。

心を落ち着かせてテラス、あるいは窓辺に座り、庭の木や空を流れる雲を眺めながらゆったりと人生を振り返る。子供に伝え忘れたことがあれば紙に書く。最後のブログを書く。

その後いつもと同じように自分で料理を作り、酒を飲んで一人でゆっくりと最後の時を楽しむ。

これが私にとって理想的な最後の日の過ごし方です。

思慮分別を起こさず、世事に関わらず

確かに吉田兼好の言うとおり、「心の中につまらぬ思慮分別を起こさず、世事に関わらないで、のんびりと楽しむ」に他なりません。

思慮、つまりあれこれ考えを巡らせて計画したり作戦を立てたり損得を考えたり、そんな気持ちはもうありません。

世事、つまり人に会ったり世間と関わったり、付き合いをどうするかとか自分の葬式をどうするかとか、そんなことを考える時間はもったいないです。



最後に趣味など好きなことをするか

最後に自分が大好きな何か趣味とか遊びをするか。

「闇金ウシジマくん」の中に、ホストくんのお母さんが自宅の浴室で練炭自殺するとき、死ぬ直前までスポーツ新聞を読み、好きな曲をかけていた場面があります。

私は人生最後の日に、好きなもの、集中できてあっという間に時間が経つのも、時の経つのも忘れて興じることができるもの、例えば好きな映画、マージャンや将棋、ゲーム・・・

最後の時間に趣味やゲームには興じない

いや、そんなことはしないです。時間がもったいないです。あっという間に時間が経つのはもったいないです。

ゆっくりと日が落ちて、しだいに外が暗くなり、ときの流れる相を眺めながら、ときを惜しんでゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐き、最後の瞬間まで生を楽しみたいです。



寸陰惜しむ

「寸陰惜しむ」とは、まさにそんな気持ちなのでしょう。

でも、毎日、一瞬一瞬をそんな気持ちで過ごせるか。

私にはまだ無理です。まだ死の実感が足りないか、修行が足りないからだと思います。

いつかそのうちに体が衰え、死を意識し出したときに思い出して第百八段を再読してみます。

ごきげんよう。


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著者かぶとたいぞう拝。


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