かぶとたいぞうです。
今日は「清貧の思想」について思うところを書きます。
私も貧乏は嫌いですが、貧乏と清貧は似て非なるものだと思います。
足ることを知らば
「足ることを知らば、貧といへども富と名づくべし」
源信の言葉です。
たとえ他人が見て不足してるのではないかと感じるような生活でも、本人が充分足りていると思っているなら、それは富んでいるのと同じだという意味です。
嚢中 三升の米、炉辺 一束の薪
「嚢中 三升の米、炉辺 一束の薪」
良寛の言葉です。
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布袋の中には(托鉢でもらった)三升の米、いろりの縁には一束の薪(まき)がある(それで充分ではないか)。
物質的豊かさの追求もいいが
貧乏は誰でも嫌います。貧乏ったらしい生活には良いイメージはありません。
特に戦中戦後の何もかもが不足していた時代を経験した人や、若い頃に家が貧乏だった人などは、もう二度と貧乏を経験したくないと思うでしょう。貧乏から逃れるために人は必死に働き、物質的豊かさ追求します。それはそれでいいと思います。
私もお金がなくて、仕事もなくて、食うにも困るような生活は嫌です。
本当は贅沢しようと思えばできるのに
しかし、本当は贅沢しようと思えばできるのに、あえて質素に生きるのは、ただの貧乏とはまったく違います。
かつて世捨て人のように山中でひとり暮した賢者たちは、本当は知識も経験もあり、仕事だってしようと思えばできたし人並み以上の生活ができたのに、あえて何もない山中での不便な生活を選びました。
「清貧」を旨とした西行は実は金持ち
「清貧」を旨とした西行は「無一文がいい」と詠みました。しかし実は西行は荘園領主でもあったのです。無一文なわけはありません。でも質素な生活を好みました。
なぜ賢者たちはお金があるのに貧乏な人と同じような生活をするのか。どうして有るのに無いような生活をするのか。単なるケチか。出し惜しんでいるのか。
賢者が質素に生きる本当の理由
物でも人でも、常に身の回りにふんだんに有れば、有るのが当たり前になります。そして無かったり少しでも不足すると不満を言うようになります。
ところが常に無いことが当たり前の生活に慣れると、有ることが文字通り「有り難い」ことになるのです。物にでも人にでも感謝するようになるのです。
不足した生活が「足りている」と感じられるようになれば、どんなことにも感謝できる
だから日ごろから不便なところに一人で暮らし粗食を常とすれば、たまの来客を心から歓迎し、もてなすことができます。
また仲間から会食の誘いでもあれば、心から喜び、ささやかな食事でもごちそうに感じるようになります。
日頃から贅沢ばかりしていると
逆に日頃から贅沢ばかりしていると何も嬉しくなくなり、何に対しても感謝しなくなると思います。毎日フグを食べていると、そのうちフグ料理にもケチをつけるようになるでしょう。
誰かと一緒にいるのが当たり前だと思っていると、相手を大切にしなくなりいつかは疎遠になるでしょう。
私の毎日
私は今、札幌市の郊外の古い一軒家に一人で住んでいます。
北海道の冬。毎日寒いです。でも東の窓から入り込む朝の陽光を浴びると太陽のありがたさが胸にしみます。温かいのです。太陽に感謝したくなります。
陽の出ない日は朝からほんの少し火を炊いて、その火でお湯を沸かしコーヒーを飲みます。ストーブの火で食事も作ります。
太陽に感謝し、火に感謝する
自分で刈った薪ではありませんが、灯油の火に感謝し大事に使います。火を上手に使う工夫も生まれます。
朝から晩までエアコンの空調が効いた部屋にいたのでは何の気付きも発見も感謝も起きないでしょう。
ウォーレン・バフェット氏も清貧の思想を大切にしている?
オハマの賢者と呼ばれているウォーレン・バフェット氏も世界屈指の億万長者なのに、今も昔建てた質素な古い家に住み、毎日質素な食事をしているそうです。
バフェット氏は「清貧」とは違うのかもしれませんが、物質的豊かさに目もくれないところは私の考える生き方と共通しています。
本当の本物の「清貧」とは違うかもしれないけど
本当の本物の「清貧」とは、本当に物質的執着から開放されて、本当に何も持たないで質素な生活をし、それでもなおかつ堂々と悠々としている生き方なのだと思います。しかし私はまだ修行が足りないのでそこまでには至りません。
それに、もし本当に物質的執着から開放されたのなら、わざわざ持っているお金も物も全て捨てる必要すらないと思います。あってもなくても関係ないのですから。
私の思う清貧
私の思う「清貧」とは、使おうと思えば使えるお金をたんまり持っていながら、あえて不便で不足な生活を続けて精神性を豊かに保つことです。
私はお金を「たんまり」持っているとは言えません。でも十分です。節制生活をすれば豊かに生きられます。「足ること」を知っています。
「お金はいくらでもある、でも精神的な豊かさを求めてあえて質素に生きている」
そう思ってこれからも私流の「清貧の思想」を大切にしたいと考えています。
ごきげんよう。
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著者かぶとたいぞう拝。
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